一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

円盤同乗記はデタラメ
鈴木正己
宇宙機第22号P17〜20

  表記、仮名遣い等は、誤記と思われるものも含め、可能な限り原文を踏襲しております。

 アダムスキの実見記・同乗記は世の中の円盤熱をうまく商業的に利用して、大きな利潤を謀ったものとしか考えられない。真に科学的な実験報告の意義をもつものなら、常識に矛盾する記述が所々に出て来る訳はない。彼の本は人々が最も知り度いと思う観察すべき部分は巧妙に抜くか、又は先方の同意が得られなかったことになっている。
 我々が他国の新型飛行機の内部の参観を許されて見る場合、どうするであろう。必ず外側の型から降着装置、更に内部の各種計器、振動機等、珍らしそうな部分をたんねんに見て廻ると共に、可能ならばその機能の詳しい説明を求めるであろう。
 その点、アダムスキーは巧妙に「宇宙人の思想」方面に切換えて(同乗記)キリスト教々義を宇宙迄拡張したもので埋めて本の厚みを増し採算を謀っている。これは書きたくともその実がないからと察せざるを得ない。
 又、技術方面の人でなくとも、彼程の年配に達する迄には、彼なりの生活の中に現在の数え切れぬ科学の所産を見たり、触れたりしてきている筈で、これらとの比較をして表現することは、実際に見て居れば可能な筈である。
 ところが、云い表わしにくい色や形という言葉でばく然と記述し実在のものとの比較描写はほんの申し訳程度しか書かれていない。
 アダムスキの筆法をまねて円盤の飛行状態や色を見た人が他人へ話すときには云い表わしにくい恰好で、云い表わしにくい色を発光する物体が飛んでいるのを見たとでもいわなければなるまい。
 次に科学の実験発表の如きものに於ては、ごまかしや、唯一の虚構もその全体に不信を受ける結果となるのに、彼の場合、いかゞわしいと思われることが各所に大胆に述べられており、その表現が巧妙な為に気付かずに読み過す点も少くないと思われるが、既に英宇宙協会の前会長クラーク博士などや、本会誌上でも、実見記、同乗記に掲載された写真、考古学的内容、其の他についての摘出がなされているが、小生の其の他気づいた点を重点的にいくつかとりあげてみたい。
(1)同乗記P59〜P60に宇宙船に乗って地球より五万マイル(約八万)離れたところで地球を見て、地球が「早朝地平線から昇る太陽の大きさ」に見えたと書いてあるが、小生読み始めてこゝに気付いたとき、アダムスキの実見記、同乗記の虚構であることの確信を一層強めた次第である。
  因みに地球と月、地球と太陽との距離は夫々約三八万粁、及び約一五、〇〇〇万粁であって、地球と太陽間の距離は、地球と月間の距離の約四〇〇倍になる。
 又、月は地球の約1/4の直径をもち、太陽は地球の約一〇〇倍であるから太陽の直径も又月の直径の約四〇〇倍になり、地球から見た月の大きさと太陽の大きさはあまり変りがない。
 即ち太陽との大きさの比較は月との比較と殆ど変りがないから月との比較としてもよい訳である。
 そうするとアダムスキは地球と月との距離(三八万粁)の約1/5の距離(八万粁しか離れないで地球を見たところ、月の四倍もある地球が地球から見る月位の大きさにしか見えなかったということになり、これは如何に甚だしい違いがあるか、次の図を見ていたゞければ明瞭と思う。
  尚、見た感じの大小は視角の大小によるので図の視覚を比較していただき度い。月、地球の直径は距離と同率に縮尺するとあまりに小さくなり、表現に無理が起るのでその割合を変えて作図した。
 以上の関係を簡単に計算して視角の比で地球を見る方が月を見る時の約二〇倍位大きく見えなければならぬことになる。(tanα≒αとすればよい)
 従って太陽より二〇倍位の大きさ、早朝の太陽が実際より少々大きく見えるのに比べても、比較にならない程大きく見えなければならない筈でアダムスキはこの程度のことは数値をあげて書いてもごまかしがわかるまいと気を許して計算せずに書いたに違いない。
(2)最も大胆な出鱈目と思われることは希薄の空気が約四万マイル(六万四千粁)の上空でも記録出来るということである(P126)地球でさえ地上五〇〇粁以上には酸素の分子があるかないかが問題になっているのに、月面より六万四千粁も上空迄に大気があるなどあいた口がふさがらない。
 かりに空気の存在が記録出来る位置というのが空気中に進入せずに出来るものとしてこの表現を一応見送っても、次の大きな矛盾がP.186にある。
 原文は「今地球から見えない裏側の方へ近寄っています。直下の地表を見て下さい。いいですか。このあたりは山が多いでしょう。高山の峰には雪さえありますし、低地の斜面には豊富な森林が見えます。この面には多くの湖、河などがあります。直下には湖の一つが見えますね。河から多量の水が注ぎ込まれるのです云々。」
 私は上の文を創作するに当ってアダムスキは「高山は何故あの様に寒く、四〜五千米以上の高山には河水の代りに氷河がある理由」を考えて見なかったと思う。
 地球の地表の温度が温暖で住み易いのは殆んど太陽熱がその原因となっているが、この太陽熱を獲えて逃さないか、逃がすかによって気温に非常の違いを生ずる訳である。
  いかに暑いといわれる赤道直下に於ても、キリマンジャロのような六千米級の高山になると、太陽熱照射の少い極地の様な寒さになるのは、空気や、空気中に含まれる水蒸気の温室効果が少いためである。
  温室効果とはガラスは太陽から来る熱線の様な高温の物体から来る波長の短い輻射線は容易に通過させるが、温度の上昇した地表の諸物質の様な比較的低い温度の物体から出る波長の長い熱線は通過させないので、温室の様にガラスで覆うと、太陽からの熱は殆んど全部を受け入れ、逆に内部から空間に放出する熱は通過させないで室内温度を上昇させ、保温する効果をいう。
  地表近い地帯では温度が高く保たれるのは大気(空気・水蒸気)の温室効果が充分である為で、高山の寒い原因は大気が希薄になる為に温室効果が少くなり、太陽から受ける熱を空間に逃す為である。
 そうすると人間が24時間気圧低下に馴らされなければ危険な程の大気圧の月面というからにはエベレストの高さに於ける比ではないに違いない。それならば温室効果はエベレスト山頂より更に少い筈であるから、湖や河が流れたり、緑の森林があろう筈がなくなって来る。このことはアダムスキのいう何れを信じても矛盾する訳になり、出鱈目と云わざるを得ないことが明瞭のことと思う。
 又内容そのものの矛盾を突かなくても、現代の大望遠鏡をもってすれば、天文学者は既にこの程度の大気が存在すれば充分検出している筈である。
(3)地上の様子を知る為、宇宙人がこっそりと一般人に混って生活しているという。(同乗記)
 南極観測一年の無菌地滞在でさえ、内地の流感に免疫が失われて危険なほどであると心配されて、基地を引揚げる際防護手段がとられたことは未だ耳あたらしい出来事である。
 宇宙人が未知の天体である地球に長い期間の不在の後に、あるいは初旅行の後に着易く着陸したり、地球人と混って生活するなど、彼等が高等で高度の無菌環境に長くおかれてあった他天体人とアダムスキの説を信ずるとすれば、地球人との接触することは相当冒険的な危険を伴っている筈である。
 地球人が既に免疫となっている数知れぬ最近に果して同程度の免疫が短期間に充分得られるのであろうか。若し得られないならば地球人との接触にはその都度防護処置がとられなければならない筈である。
 地上の様子を探る目的で上陸した宇宙人に、既に地上の無数の最近の性質を知悉し、或は免疫状態になっているとは考えられないし、地球人の通信手段である電波をキャッチしていると書いている以上、何も危険な着陸を冒さなくとも、電波によって充分様子を知ることは出来る筈である。
(4)円盤同乗の際の温度の変化に対する感じが少しも述べられていない。(同乗記)
 円盤内の気温がサバク地帯の夜間の気温と全く同一であったとは考えられない。若し「爽快な気分」という言葉に示される程度のことであるならば、気温に大きな相違はなかったと考えられる。
 宇宙間を飛ぶ円盤がサバク地帯の夜間一〇時以後の気温と同一に近く調節してあったと想われる様な書き方は不可解である。若し円盤の内部の気温がそのように調節してあったなら、今度は母船に乗り込む時に変った感じを受けなければならない。又、この感じを受けても記述を省いたとするならば、内容の主客転倒で同乗記の意味をなさない。
 円盤が母船に帰着する場合高空であるならば、着船後ハッチを締めてから円盤の周囲に空気の補給がなければならず、又、気温は勿論氷点下であるから、補給空気は加熱空気であったとしても、円盤内の温度と同一温度であり得る可能性は殆んどないから、違った温度で寒く感ずるとか、気圧の変化で何か違った感じを受けなければならぬ筈であるが、どうもこの辺の描写は実体験の真実性が記述に現われていない。
 思わぬ長さになってしまったので未だ宇宙人の皮膚の色と居住地帯の問題、身長と生活環境、実見記の足型の写真のないことゝ、其の後これに触れないこと、実見記では地球上の言葉を話せなかった宇宙人が、何時の間にか英語をしゃべっていること、月裏面基地説はたまたま宇宙旅行熱が騰り、重力を振り切るのに膨大の燃料を要する地球ロケットの燃料補給基地説を、時期に応じて取り入れたと思われることゝ、重力の影響を受けぬ宇宙機としては不便な月(150°c〜-150°cの地表温度、無大気)など、おそらく何等魅力はないであろうこと、地表からすでに数多く観測されながら、月裏面にかくれる理由の薄弱なこと等々、こまかい点は出て来ますが、あまり長くなるので一応この辺で筆を擱き度いと思います。(高校教諭)

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