一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

酒井・永井両氏の体験の精神病理学的診断(2)
カルテ@酒井克己氏の場合(前号につゞく)   
高梨純一  
(宇宙機第22号P7〜16)

  表記、仮名遣い等は、誤記と思われるものも含め、可能な限り原文を踏襲しております。

土星人の会見

 だが、こういう風に結論して、もう一度同氏が書いたものや、同氏についての報道を読み直してみても、これで全部が辻褄が合ってスッキリと納得出来るとはいえない。そこにはなおいくつかの、理解出来ない誇大妄想狂的な独断や偏執狂的な奇説が残っている。そこで、ハテナこれはやはり同氏の大山師的な意識的欺瞞の解釈の方が本当の解釈に近いのだろうか?と疑念を抱きはじめた時に、折よく前記の手記(前号掲載)が到着したのである。
 そこで、この手紙をよく吟味してみると、酒井氏は仕事に行く電車の中で土星人に会ったというのであるが、その土星人なるものもおそらく、コンタクト派の主張者たちが人間の間にまじりこんでいるという他の遊星人たちのように、地球人とそっくりの容貌や服装をしていてそれと区別のつかぬ土星人のことであろう。
 それと「精神感応」で話をしたというのだから、他の乗客から見れば、二人ともたゞ普通通り立つか座るかしていたゞけで、何の客観的証拠もないわけである。だとすれば、たゞ酒井氏だけが「精神感応」で話をしたつもりでいたのとどう区別すればよいのであろうか?
 それに奇怪なのは、同氏は現在絶えず霊感で宇宙人から指令を受け取っているというのに、何故東京都内における土星人の存在を報らされるのに、こういう方法によらなければならなかったのであろう?
 又、酒井氏はこれら東京都内における他の遊星人の存在を「数年も前」から疑っていたというが、同氏のこれまでの手紙や文章から判断すると、同氏が金星人であることに気がついたのは最近のことであり、又円盤に関心を持ち出したことすら、この二、三年来のことだという印象を受けるのであるが、これはどうしたことであろう。
 こゝに計らずも、同氏が口から出まかせの大ぼらをふいているという証拠の一端を垣間見た思いがするのであるがどうであろうか?
 だが、そう考えてみても、この手紙はたしかに異常であり、たゞ大ボラとだけでは納得のいかぬものがある。
 第一、?当筆者宛に送りつけて来たのが奇怪で、筆者は最初から同氏の主張を全く出鱈目で大ボラだときめつけているのに、それに対して、こんな途方もない出来事を、而もそれを支える証拠が一つもないのに(あれば、最初から報告するのが当然である)『情報』として一方的に送りつけて来る心理は余りにも異常であり、非常識を通り越して狂的である。
 そこで、ふと考え合せてみると、同氏の言動には、かねてから何か単なるハッタリとしてでは納得のいかぬものがあったことに気がつく。

宇宙協会

 例えば、同氏が初め宇宙協会というものを結成した時(これは、筆者の主宰する「近代宇宙旅行協会」が屡々「近代宇宙協会」と誤報されるので、それと関連がありそうであるが、全然無関係である)そういう会をつくったから「是非入会してくれ」という半ば強制的なペン書きの案内状(ハガキ)をもらったが、単にそれだけの内容であり、その会がどのような趣旨のもので、どういう機構を持ち、どのような行事を行うものか書いてなかった。これでは、入る方がどうかしている。
 第一、?その簡単な文面からでも、同会が、宇宙人が着陸した時、それと友好的な関係を結ぶための態勢を整えることを主目標としたものであることは窺えたが、筆者はそういうことはまだ時期尚早であり、事態はそんなに簡単ではないと主張しているものであり、同氏は当方の会の会員であるから、そういうことは百も承知のはずであり、而もこういう勧誘を行うとは、余りにも強引であり、厚顔無恥であって、常人の沙汰ではないという印象を受けた。
 そこで、そのまゝにしていると、それから又一月ばかりして、今度は活版擦りの形式的な案内状にペン書きで「この前御勧誘したが、まだ入ってもらっていない。この際、是非入会して貰いたい」と再度入会を勧誘した文句を添書きした葉書が届いたが、今度も亦それだけのことであり、会の内容については依然何も書いてない。そこで、そこは一応会員に対する礼儀上「これでは入ろうにも入れないではないか、趣旨・内容を報らせてもらいたい。」という手紙を出した所、漸くペン書きで趣旨・内容を説明した手紙が届いたが、それを見ると、案の上、筆者の主張を真向から無視してかゝった厚かましいものだったので、入らず今日に至っているのであるが、(当時、何という厚かましい人間だろうと憤慨したが、同氏の筆蹟が五十以上の年寄りに見えたので、黙っていたのである。同氏の筆つき文体が年寄りじみて見えるということが、すでに前記の如き同氏の尊大な野心を表わしている)実は筆者などはまだよい方なので、同会に入ろうと思って、会費その他を問い合せた当方の会員の一人は次のような返事を受取った。
「当会は会員への御連絡は一切精神感応で致しますから、会費はいりません・・・」
 私は、この葉書を見せられた時、これは又何という大それたハッタリなんだろうとびっくりしたものであるが、今にして思えば、或は同氏は当時からすでに精神感応で私やこの人たちに会の趣旨、内容等を伝達していたつもりなのかも知れない。併し、あいにく、私もその人も精神伝達を感受する力がないので、前述のように情報は一々手紙に書いて報らせてもらわなければならないし、同氏の信者である前述の某氏といえども、いろ?の質問を一々手紙に書いて解答してもらわなければならないわけである。
 だが、読者もすでにお気付きのように、自分にはない精神伝達の能力をあるように妄想し、或は本人にはそういう意念力があるとしても、それを感受する力のない者を相手にして「会の連絡は精神伝達で行います」というのは、余りにも異常な精神状態であり、常人の沙汰とは考えられない。たゞ、これまでは「まさか、そこまでは・・・」と、これを狂気とまでは結びつけて考えなかったわけである。

K・M氏の場合

 だが、そういうことに気がついて、ふと考え合せてみると、直ちに一人の人物のことが思いうかんで来る。この人物は神戸に住むK・M氏(特に名を秘す)という人で、かつて本誌第八号のニュース欄に「アダムスキへの金星人のメッセージを本格的に研究している人がある」とほんの七行ばかり紹介されたことのある人である。
 この人も、初め荒井氏が本気にとったのも無理もないので、(筆者も初め本気にとった)外面的に見た感じでは、堂々たる社長タイプで「神戸−会社社長」という名刺も持っており、(そういう会社は存在しない)瞳の動きも、我々が普通狂人の特徴として考えるように、キョトキョトして落着きがないということもなく、話しぶりも落着いていて誠実味があふれ、全く一度会ってたちまちその人格に深く信頼を置くといったタイプである。
 ところが、暫く話をしていると、頭のネジが一本ぬけているのではないかということが疑われて来る。非常な勉強家で、あらゆる本を縦横に読みかじっているらしく、そういう知識が断片的に後から後から出て来るけれども、その間に全く何の関連もない。問題の金星人のメッセージについても、朝鮮の「アリラン」の歌と何か深い関連があるのだそうで、その楽譜を写真複写したものを「貴重な資料」だとして送って来られるが、どういう意味なのかサッパリわからない。果ては、市販の暦の本の最後の方にある人体図のようなものを複写した大きな青写真を送ってこられる。
 筆者もはじめ電話で話したきりで、どういう人柄かわからず、神戸で開いた第四回研究会に出席してもらったところ、そういう話しぶりで滔々と二時間余も駄弁られたので、会員は完全に煙に巻かれてしまうし、折角来席した神戸新聞の記者もあきれて帰ってしまうしで、全く迷惑した。
 その後、会員が手分けをして調査をしたところ、同氏の前身は関西の某大機械会社に勤めていた機械のエンジニアで、数年前どうしたきっかけでか頭がおかしくなりやめてしまったものだそうで(多分哲学的なことにこりすぎたためらしい)その後、神戸の映画館などで音響関係のことをしていたが、頭がおかしいということが仲間うちでも通っているということがわかって来た。
 そこで、さてこそ・・・ということになったわけであるが、東京の方でも別個にそういうことに気がついて、荒井氏も手を切ってしまわれた。併し、そういうことに気ずいてか気ずかずにか、本人は今なお、アダムスキなどに手紙を出して、何百万ドルで宇宙人の存在を立証する「アリラン」という映画をつくるから、その資金運動を起してくれ、などと要請しているのである。
 かように見て来た場合、酒井氏の症状はまさにこれと同一類型に属するものであり、いわば「静かなる狂人」「普通人の外見の下にかくれた精神異常」と呼ばるべきものかも知れない。たゞ、酒井氏の場合、まだどうやらK・M氏の場合ほどは進行していないようであるが、前記の手紙などを見ると、それが次第に進行しはじめているのではないか、と疑われる。
 では、それがどうして進行し始めて来たのであるか?といえば同氏の場合、新聞や雑誌で書きたてられ、一方ではこれを山師だペテンだとして非難する者がある一面、他方ではこれを頭から信じて持ちあげるものがある結果、精神的に適当に昂奮し、それがよくない結果を与えているのではないか、と考えられる。

男女の調和

 そこで、そんな風に考えて、酒井氏の書いたものを今一度読みなおしてみると、今まで納得のいかなかった若干の奇異な点がハッキリと解明される。
 例えば、本誌第九号(昨年三月号)に掲載された「男女の調和と宇宙人」という原稿の中で−それにしても、何という奇矯な題のとり方であろうか!−同氏は、宇宙機は「空間停止、上下左右への急速な移動、方向転換の巧みさ・・・」等なぜこんなバランスのよさを得ることが出来たのであろうか?という問を提出して、それは「彼方の世界の社会状態が進歩しており、バランスがとれているからである」という。これはまことに異常な論法である。
 これに反して、地球の航空機はといえば「スピードは音速を超えるようになったが、方向転換はまるで馬車馬を思わせるような所があり・・・これはとりもなおさず、現在の世界情勢を表現している」その一つの現われが「スエズ問題であり、ハンガリア問題である。これらは現代地球人がいかに方向転換が下手であるかを表わしている」という。これはまことに、持って廻った奇怪な論法である、少くも科学的な思考ではなくて、非合理的な宗教的な独断である。
 併し、この程度のことならば、まだ世の説教家と言われる人達のことならば、やりかねない。
 だが、酒井氏の論法はそれから彼方の世界の男女関係へと飛躍する。では、どうすれば、こういう不安定な地球人の感覚を安定させることが出来るのであろうか?という問題を提出して、それには人間の一人一人が調和していることが必要であるという。
 では、その調和とは何かといえば、「(+)と(-)が常に共にあることであり、言いかえれば、男性と女性が共にあることである」という。これに反して「アンバランスとは(+)と(+)、(-)と(-)が共にあることだ」という。そこで「バランスのよいということから想像して、彼方の世界の社会状態は男女の関係がよく調和しているのではないか」という。こゝまでならば、まだ善意に解釈することが出来る。しかし、その後が奇怪である。
 「機械の自由さの秘密は何であろうか?」と問うて「これも創造者達の人間関係が非常に速くきれいに自由に転換しているものと思われる。これは常に男女の調和を基礎にしていることを忘れてはならない。例えば、少し具体的に説明すると、男性は常に女性と共にあり、それから離れて行く場合、他の男性とあまり長く交際しないようにし、どうしても男性と会話しなければならない時は、男・女・男・女というような構成で話を進めるべきである」こゝに至って、この人は一体何を言おうとしているのか?
 この人の精神状態は幾分分離作用を起しはじめているのではあるまいか、と私が疑うのも無理はない。而も、この文章は、こゝでプツリと切れている。
 兎も角、本誌のような円盤の研究誌の上に現れる記事としては余りにも常軌を逸している。併し、前記のとおり、同氏の頭のネジが、一つはずれていると考えれば、この文章もなるほどと充分に納得出来るわけである。
 たゞ、こゝで注目されることは、同氏が男女関係に異常な関心抱いていることである。そうでなくてはこんな問題にまで、男女関係の吟味を持ちこむとは一寸考えられない。ところが、こういう人はきまって、充たされない男女関係に悩んでいる人である。そこで考えられることは、同氏が充たされない男女関係−不調和な男女関係−に絶えず悩まされており、その煩わしさから遁れるために宗教的哲学的のことにこりかたまりすぎた結果、そこからこの狂気が生じたのではないか、ということである。
 この経路の狂気というものは、世上よく見かける所のものであるそれかあらぬか、大阪での研究会の席上、二三の人が酒井氏の家族構成に頗る異常なものがあることを指摘した。
 つまり、週間読売によれば、同氏の年は三十才なのに、夫人の年は四十一才、そして十二才の子供があることになっている。これは私をして言わしむれば、世上決して珍しいことではないにしても確かにある程度異常であり、前述の如き男女間の不調和もこゝから発したものではあるまいか、と妄測されるのである。(これは妄測であるから、もし間違っていた場合にはおわびする。)

酒井氏の行方は?

 とにもあれ、同氏の言行は次第に常軌を外れはじめている。前述の手紙や、前世金星人だったという告白がそれでもあれば、又本誌第二十号に掲載された記事においても、同氏は、月や火星や金星の世界は我々が死んでから行く世界と同一だということを、堂々と独断的に教示しておられる。同氏が絶えず霊感で宇宙人から教示を仰いでいると主張されることから考えても、これが単なる同氏の想像ではなく、絶対の真理であるとして押しつけられようとしていることは明らかである。
 だが、これは、同氏の使命が地球統帥の役目だったという妄想と同じく、氏の尊大な少し狂った頭が考え出した一つの独断にすぎず、それを他の人々に強引に押しつけようとするのは横暴も甚だしい。こゝにおいて、人々は同氏に見限りをつけなくてはウソである。
 では、最後に、同氏の今後の行方はどうなるのであろうか?私が予測するのに、もし今後うまくいけば、同氏は沢山の無智の尊崇者達を身近に集めて、一種の宇宙教の教主にのし上ることが出来るであろうし、その逆にもしうまくいかなければ、同氏の精神の分離作用はいよいよ進み、害はないが手のつけられぬ狂人として人々から見放されるか、又は瘋癲病院に収容されるのがオチである。
 そのいずれが実際の成り行きであろうかは、まだ私の予測しかねる所である。
(本稿においては、酒井氏の言動その他を、いささかも歯にきぬをきせることなく、批判論評したが、これはあくまでも学問上の眞理判定の必要上からなので、その点御諒承願いたい。)

カルテA永井勉氏の場合

 次に、永井勉氏の体験談については、これも最初、荒井氏から、「近ごろ空飛ぶ円盤に乗って太陽系の外まで行って来たという人物が現れ、目下調整中です」という連絡をいたゞいた時には、これもテッキリ酒井氏につづく第二の大山師だろうと想像した。それにしても、こんな大ホラ吹きが次々現れて来るとは、日本の社会も随分浅ましいものだと暗たんとなったものである。
 だが、本誌20号に掲載されたその「宇宙船乗船記」を読んで、「ナーンだ。これなら充分かんたんに説明出来るじゃないか」とあきれてしまった。この手記を読めば、同氏がどういう異常な精神状態下でこの体験を持たれたものかは直ちにわかるのであって、こんな簡単なケースで迷わされる人があるとはなげかわしい。併し、それも平生こういう異常な精神状態になじんでいない人のことなら、無理もないことであろう。
 こういう異常な精神状態は、普通変態心理学の分野で研究されるものであるが、普通一般の人達には余りにも異常で、一寸本当の出来事とは思えない。併し、同一類型の実例がいくつもザラに起っていることを知るに及んで、成る程人間の異常心理は不思議なものだと納得されるわけである。
 永井氏の手記を読んでまず感ずることは、その全体が頗るぼばくとして掴み所がないことである。例えば、初め彼方の空に円盤らしい光りものを見つけてから、宇宙人に会うまでの経過にしても「その物体はある家の屋根の上に浮んでいて動きません。私は何となくその方に近ずいて行きました。・・・その時歩きつゝ、不思議な心理状態になったようで、自分のすることがサッパリわからないのです。・・・事態は刻々に迫って来ます。私は意を決して、一生懸命手をふりました。何故だかわかりません。・・・と突然、私の眼の前を人らしい影が横切って私を呼んでいるようです。わたしも何か言おうと思って口を開きました。音声になったかどうか、今でも私にはわかりません・・・」
 といった調子である。
 こういった精神状態なら、誰でも一応は心当りがあるはずである。それは夢の中の心理状態とそっくりである。又、その後、宇宙人の声が聞えて、それと問答を行うが、その際にも相手の容貌、服装等を認めたようには書いていない。たゞ、アリンガムの本に書いてあったことを思い出して、ぼうばくたる精神状態で何度も精神集中してみるが何も反応がなく、やっと四度目に相手の声が聞えたので、やれ嬉しやと思ってそれに気がつき、不分明な精神状態のまゝそれと問答を行っただけである。
 而も、その問答たるや、我々自身が夢うつゝの状態で、自ら問い自ら答えるのと全く同じ特徴を表わしている。答えの内容が本人の知識程度で答えられる程の簡単なものであるばかりでなく、一寸面倒な「何処から来ましたか?」とか「あなたの名は?」というような問に対しては、答が聞えていない。又、他の面倒な問に対しては、
「原動力は?−あなたたちの身辺に存在します。あなたたちはそれを見て知っています。」だとか、「何故屋根の上に立っていたのか?−そうとも言える。」というように、巧みに答をそらしている。これは全く半睡状態下における夢中問答の徴候を表わしている。
 或は「これから何処へ行くのですか?」と問うと、例によって答がなく、しばらくして「アイルランド」という声が聞えた。そこで「アイルランド?」と聞き返すと「そうです、アイルランドです。あなた達の太陽系ではありません。」といったわけのわからぬ答が現れている。これは多分、同氏が宇宙の星々の名前等、詳しい知識がなく、即答出来なかったが、ふと「アイルランド」という地名が思い浮かんだので、それを答として出し、それをそのまゝ太陽系外の天体の名前としてしまったものだろうと思う。
 而も「しばらくして、眼の前が明るくなったと思ったら、私の眼の前に下界の灯らしきものが映った」という言葉からわかるようにいつの間にか同氏は宇宙機の中に乗っているのである。それから暫くして、「降りてみましょうか?」ということで「さあ、降りますよ」という声が終ったと思った瞬間、二人は或る劇場の内部の人となっているのである。
 そこから最後の一行に至るまで、起った事柄で夢中現象の徴候を表わしていないものは一つもない。必要とあれば、一行一行初めから終りまで、この出来事がいかに夢中現象の徴候を如実に表しているかをもっと詳しく御説明してもよいのであるが、そんなことをしなくとも、読者もそのつもりで読んでいただけば、なるほどと納得されるところがあるだろうと思う。
 たゞ、一つ御注意申し上げておきたいことは、この問答中唯一の知的な答というべき、「私と何故話せるのか?」という問に対する答(貴方の発する電磁波を私が知っているからです。私も同波で発信する。故に交互の意思がわかります。)及び「何故船内で見ることが出来るのか?」に対する答(この機体の固有周波数以外の周波数を通じて見るからです。あなたたちの映像機「テレビジョン」でも室内アンテナで映像するでしょう。)は、共に同氏が電機会社の社長の息子であれば、電気現象には特に関心が深かろうから、言って不思議のないことであるが、この中前者は、代々の心霊研究者の研究によって否定されて来たということを知っておく必要がある。
 つまり、精神交感の原理は電磁波の理論では説明出来ないのである。たゞ通説ではそうなっているので、同氏もそういう説を聞きかじっておられたのであろうが、こういうわけなので宇宙人がそういう答を出すとは一寸考えられないと言うことである。
 後者も、一寸通俗的には頗るわかり易い説明であるが、実際には電気学的には相当の難点があると思う。
 だが、この出来事がそういう夢幻的現象である徴候を充分に具えていることがわかったとして、これが本当にそういう夢中現象である可能性があるであろうか?これは充分にあるので、例えばこの手記を読んでみても、この出来ごとが同氏が何処で何をしていた時に起ったことがはっきりしない。どうも本人もはっきりした記憶がないのではないだろうか?
 兎も角、同氏の手記と荒井氏に問い合わせてわかった所では、同氏が父の経営している電機会社の社員として、群馬県の出張所へ出かけて、社用もやっとすんだので「少々くつろぐつもりもあって、釣をしたり、山を眺めてその日その日をすごしていた」或る日に起ったことだという。だから、暫くの間の精神の緊張が解けて、一寸ホッとした期間に起った出来事である。又、最後に「やがてブーンという音がやんだと思って眼を開いたら、私は家の庭に降りていました。」という「私の庭」というのは、東京の自宅の庭ではなくて、出張中滞在していた群馬県の出張所の庭だという。そういうことを知らないで読むと、まるで出張中の群馬県から東京の自宅まで空飛ぶ円盤で連れ戻ってもらったみたいだが、そういう意味ではない。
 だから、この出来事を解剖すれば、出張所の庭に面した縁側か何かでボンヤリと空でも眺めていたら、急にたまっていた疲労が出て来て夢心地となり(長い旅行の後や試験勉強の後で一寸くつろいで何もすることなくボンヤリしていると、よくそういう気分になることは読者も御経験があることと思う。)
 日頃読んでいたアダムスキやアリンガムの本の影響でこういう出来事を夢み、又それからハッと目醒めたらもとの出張所の庭にもどっていたのを、ナイーブに本当の出来事だったと考えたとしたら、充分に解釈がつくわけである。
 こういう出来事は、素人考えでは一寸信じ難い現象であるかも知れないけれども、実際にはかなり屡々起り得る現象であって、殊に覚醒状態からの睡眠状態への移行が自然で、深ければ深い程、その出来事は現実の出来事と区別がつかなくなる。
 というのは、実は私自身がそういう経験があるからなので、それはかなり小さい時代のことであったが、お婆さん子で弱虫であった私は、夜になると、寝室である二階へ上る階段のある玄関の暗がりがこわくて、いつもお婆さんに連れて上ってもらうことにしていた。ところが、ある晩のこと、眠たくなったので二階へ上ろうとすると、お婆さんはすでに二階へ上ってしまっていて、二階でゴトゴト床をとる音はするが迎えに来てくれない。そこで、こわごわ階段の下まで行って「お婆ちゃん、お婆ちゃん」と呼んでいると、急に玄関わきの暗闇の中から怪しい男が現れて来た。
 その男がどんな男で、初めどんなことを言い、どんな態度をとったかは覚えていないが、ともかく私をガンジガラメにくくってしまった。そこまでは覚えているが、その後がどうなったのか覚えていない。とも角、又すぐ許してくれたのであろう。縄と解かれてトボトボと父母の話し声の聞える茶の間の方へ戻って来たことを覚えている。
 この出来事は長い間現実の出来事として私の記憶にこびりついて来た。ところが、ずっと大きくなってからよく考えてみると、これはどうもおかしい。階段下と茶の間とはすぐそばなのであるから、怪しい男が現れたら、大きな声を出すか騒ぐか何かしそうであるが、何もしていない。又、そのくくられたということ自体が頗る観念的なので、一体どのようにしてくくられたのか全く記憶がない。更にそれがほどかれた記憶もなければ、何故一旦くくったものを又ほどいたのか、ふにおちない。又、そんな風にして侵入して来ていた男が何もせずに立ち去ったのもおかしければ、その出来事の後、私が大して騒がずトボトボと茶の間にもどって来ているのもおかしい。
 実は、この茶の間に戻って来た時の心理状態に解決の鍵があるので、そのとき私は寝醒めのようなボンヤリとした精神状態であったことを後に思い出した。
 これから考えられたことは、これらの出来事の全部が夢だったのではないかという憶測で、つまり、階段の下から二階のお婆さんに向って呼びかけている間に、睡魔が迫って来て階段によりかかって眠りこけてしまし、その間に、平生怖い怖いと思っているものだから、傍らの暗闇の中から怪しい人物が現れて来て、自分をくくりあげる夢をみ、そのショックで又眼をさまし、夢かうつゝか判然としない心持のまゝ、トボトボともといた茶の間の方へ戻って来たのではあるまいか?というのである。
 こう考えてみれば、すべてが完全に納得がいくので、今ではこの憶測が正しいものと考えているが、こう分析してみなければ、今でもこれを現実の出来事と考えているかも知れないわけである。
 こんなことがあったものだから、私は永井氏の出来事が覚醒状態からごく自然に移行した夢幻状態であったと断定するのに、いさゝかも躊躇せぬわけであるが、こういう現象は私の場合の如く、ごく小さい時分にばかり発生し得るものとは限らない。
 例えば、私の親戚でKという人が、たしかもう三十に近い年頃のことだったと思うが、何か願いごとがあって、三七二十一日の間近所の住吉神社に朝参りをしたことがあった。平生から余り早起きでもない人が、毎朝早く起きて、少し遠方の同神社までテクテク日参するのは決して楽なことではなかったであろう。
 すると、その満願の日、いつもの通り神前にぬかずいてお祈りをしていると、急に神殿の扉が左右にスーッと開いて、神様が出て来られ、有難いお言葉を賜ったという。
 Kはこれを大変有難いことだとは思いつつ、半ば狐につままれた面持で後に語っていたというが、その時開いた扉なるものがどんな扉だったのか、又その前後の状況がどんなものか、ハッキリした記憶がないという。だから、これも亦、いよいよこれで満願だという安心感と連日の疲れから、神前で急にフーッと気がゆるんで、夢うつつの心境でこういう白昼夢を見たものだと解釈出来る。
 実際昔からこういう現象はそう珍らしくもないので、古人もこれを白昼夢と名づけているわけである。
 だから、これは現実の円盤現象でもなければ、心霊現象でもなく(これを心霊現象ではないかと言っておられる方があるそうであるが)変態心理学的現象にすぎないわけである。そう考えて、同氏の手記をもう一度読み直していたゞけば、理智的な読者ならばなるほどと納得していたゞけることだろうと思う。
 たゞ以上では、永井氏が出張所の縁側にでも座って、ぼんやり空でも眺めていた時にこの出来事が起ったように仮定したわけであるが、もしそうではなくて、散歩中か何かにこの出来事が起ったとしたらどうであろうか?
 これも変態心理学的には大して問題はないので、前説と同じ理由から、散歩中急に半睡状態に陥り、そのまゝ夢を見つゝ歩きつゞけて、出張所の庭に戻って来て、ハッと目をさましたと考えれば、解釈可能である。そして、こういう睡眠中の歩行ということは実際可能なので、そういうものが夜間起ったものが、いわゆる「夢遊病」である。
 これは、一旦床について眠ったものが、夜中にむっくり起き上り半睡状態のまゝ、あてもなく家や街の中を歩きまわり、又戻って来て、朝までぐっすりと眠りこけたり、途中で眼をさまして、どうして自分がこゝへ来たのかわからなかったり、もっと悪質なのは、その間に次々殺人を犯して、朝起きた時にはケロリとして何も覚えていなかったという場合がある。
 又、こういう現象が永井氏の場合のように白昼起った場合には、そういう幻影にひきずられて、その導くまゝについて行ったところ崖から落ちて大怪我をしたり、海の中へひきずりこまれて、溺れ死にしかけた実例もある。だから、こういう体験を必らずしも好ましい出来事だとして歓迎するわけにもいかないわけである。
 ところで、問題は聞くところによると、北村小松氏が荒井氏などと同氏をインタビューした際、同氏が北村氏などの質問にハキハキ答えたあげく「太陽は冷たい天体だ」というようなことを言ったという。もしこれが本当だとすると、ウイリアムスン博士の受取った円盤通信を肯定したような形になり、両方とも本当だという可能性も生じて来そうであるが、実は上述の通り、同氏の体験が明らかに白昼時の夢遊現象の特徴を表わしている以上、これは同氏が人々から不思議がられ、種々質問を受ける結果、次第に知らぬと率直にいうことが出来なくなり、だんだん作り話をし始めたのではないかと疑われる。
 もしそうだとしたならば、我々の研究が最も恐れなければならないのは、そういう作り話である。ほんの小さな作り話でも、我々の科学的研究をさまたげることは甚だしいものがある。
 我々は、この研究を海外の研究団体にばかりまかしておかないで我々自身の手でその本体を究明しようというのであるから、単なるたわむれやその時々の行きがかり上、或は面子などにこだわってほんの想像にすぎないようなことをつけ加えることによって、この研究をさまたげるようなことは厳に慎んでもらいたいものである。
 何故私がこんなことを言うかといえば、永井氏が「地球太陽系の彼方にある別の太陽系へ招待されました」と書いておられるが、その手記をよく読んでみても、他の太陽系へ行ったという証拠が何もないばかりか、どこへ行ったものかもさっぱりわからない。
 この一行の前書きさえなければ、どこか同じ地球上の他の都市上空まで連れて行かれたものとしか考えられない。そんなわけであるから、私は、この人は太陽系とはどういうものかということすら御存知ないのではないかと思う。
 そして、たゞ余りにも不思議な体験であるので、こおどりして喜んで、観念的に「他の太陽系まで」と言っているのではないかと思う。
 だとしたら、科学的な円盤研究にとってこれ程迷惑であるものはない。
(後記)
 以上書き終って、昨今の新聞に眼を移すと、フルシチョフの命令でナジ・ハンガリー元首相及びマレテル元国防相が死刑に処せられソ連の政策が再び血なまぐさい昔のスターリン主義の圧政に戻ろうとしていることが盛んに論じられている。
 もし、このフルシチョフが酒井氏の言う通り、第二の地球統帥として宇宙人から指令されたものとするならば、宇宙人は血と涙の圧政の支持者であり、我々地球人の悲惨な運命は期して待つべきものがあろう。
 又、もし酒井氏が本当にこのフルシチョフを第二の地球統帥として宇宙人に推挙したものとするならば、氏は地球第二の暗黒時代の挑発者として国際連合の法廷において断処さるべきものであろう。
 空飛ぶ円盤の研究にもあくまでも健全な常識が必要である。

(一九五八・六・二〇)

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