黒のページ(心霊現象)1

飴買い幽霊

江戸時代のことである。

舞台は、坂道に店を構えた飴屋の軒先。日はとっぷりと暮れてしまい、善良な飴屋が1日の働きを終え、店じまいを始めた頃に、事件が始まる。

トントン、トントン・・・・

誰かが雨戸を叩く音がする。

「ごめんくださいまし、ごめんくださいまし・・・」

消え入りそうな声が追いかける。

いぶかしく思いながらも、主人はくぐり戸を開け、腰をかがめて外をうかがう。

店先に、白装束の女が1人、立っている。

乱れた髪に隠されて、うつむき加減の顔立ちははっきりしないが、どうやら若い女のようだ。

「飴を、売ってくださいませ・・・」

女が差し出す掌に、1文銭が1枚、乗っている。

「毎度ありがとうございます」

商人の習性で、愛想笑いとともに飴を渡す。受け渡しでふと手が触れる。女の肌の冷たさに、飴屋の背筋に寒気が走る。

女は、無言で軽く頭を下げ、夜の暗さに溶けこむように姿を消した。

次の夜、女がまたもやってきた。

前夜と同じく、客足も人通りも途絶え、飴屋が店じまいを始めた頃に、人目を避けるがごとくに現れた。

買っていくのは、やはり1文の飴。同じことが、6夜くりかえされた。

7夜目になった。

この頃になると、飴屋も女を待ち構えている。

少しばかり店じまいを遅らせて、1枚だけ開いた雨戸越しに、外の様子をうかがっていた。

今夜はもう、来ないのか・・・・

そう思ったとき、不意に人影が浮かんだ。例の女だ。

しかし今夜は、なにか様子が違う。何も言わずにただうつむいて、戸板が外れた空間の中央に、闇夜の黒をバックに立っている。

飴屋の方から声をかける。

「いらっしゃい、いつもの飴だね」

女はうつむいたまま、動かない。

「どうしたんだい、遠慮せずにお入り」

「申し訳ありません、今夜は銭を切らしてしまいました・・・・」

「構わないよ、いいから持って行きなさい」

人の良い飴屋は、代金も取らずに1文分の飴を手渡す。

女は、何度も何度も頭を下げて、静かに飴屋の店先を去る。

さすがに飴屋も不審に思い、そっと後を尾けてみる。すると女の姿は、お寺の前でふと消えた。

飴屋は翌朝早速、その寺の住職に事件を報告する。すると住職は言った。

「そういえば、数日前に身重の旅の女がみまかり、寺に埋葬したばかりです」

人を集めてその墓を開いてみると、女の棺の中には、母親の死体にしがみついて飴をしゃぶっている赤子がいた。

つまり死んだ女は、墓の中で子を産んでいたのだ。そして我が子を育てるため、幽霊となって毎夜飴屋を訪ねたのだ。

飴買い幽霊の物語は、だいたい以上のような形で伝わっている。

飴買い幽霊は、時に子育て幽霊とも言われ、南は九州から北は東北まで、文字通り日本各地に伝説が残っている。現在もゆかりの寺がほうぼうで残り、長崎には幽霊の像と称するものまで残っている。

当然ながら細部で異なる部分も多いが、今回紹介した物語は、全国にほぼ共通する要素を取り入れてまとめたものである。

金が6日で尽きてしまうのは、女の幽霊が、棺桶の中に入れられた6文銭を飴の購入に使ったことを示唆している。

江戸時代には、あの世とこの世を隔てる三途の川の渡し賃が6文と信じられていたため、人が死ぬと、その棺の中に1文銭を6枚入れて埋葬したのだ。

生理学的には、母親が死ねば胎内の胎児も運命をともにせざるを得ないが、この伝説にそのような解説をすること自体野暮かもしれない。

この伝説が各地で語り継がれ、ある意味愛されているのは、死してもなお我が子の身を案ずる母の情愛を、端的に、しかも力強く物語っているからに他ならない。

毎晩1文銭を1枚ずつ持参するところも、女の律儀さをよく表している。

こうした女の一念が実り、飴買い幽霊の伝説では、ほとんどのケースで子供の命は救われ、それを見届けた母は安心して成仏する。

しかし、いとしい我が子の命も奪われ、現世に残した最大の未練が無残な形で砕かれたときはどうなるだろう。

魔術にも黒と白があるように、激しい母の悲しみも、時には人を害するものとなる。

ギリシャ神話のラミアは、自らの子を殺され、嘆き悲しんだ末に、子供をさらう妖怪と化した。

日本でも、誰にも見取られることなくお腹の子もろとも死亡して果てた女のは、産女(うぶめ)という妖怪になり、他人の赤子に害を加えたりさらったりするという。

恨みの根底にあるのが、我が子を愛する母の想いであるだけに、不気味な一方で哀れを誘うものがある。

(DVD「ゴーストハント」FILE2「人形の家」付録パンフレットより)