(最終改訂2016年1月23日)

1 イアソン
2 イアンブリコス
3 イエイツ
4 イエス
5 イエズス会
6 ESP
7 イエティ
8 EM
9 EM効果
10 イギリス心霊研究協会
11 イグナティウス・デ・ロヨラ
12 イグリントン
13 イシス
14 イシュタル
15 イースター島
16 イスラエル・ベン・エリエゼル
17 異星人解剖フィルム
18 イッシー
19 イナンナ
20 イルミナティ
21 インプラント
22 陰謀説
23 陰陽五行説

アソン(Jason,Iason)
 ギリシャ神話の英雄の1人。アイソンの子で、母はアルキメデあるいはポリュメデとされる。父アイソンはマグネシア地方イオルコスの王となるはずであったが、異父兄ペリアスに王位を奪われ、イアソンはケンタウルスのケイロンに養育される。成長したイアソンは、王位返還を求めるためイオルコスに赴くが、このとき、古代ギリシャ世界でもっとも権威あるデルフィの神託が登場する。簒奪者ペリアスはデルフィの神託を仰いだ結果、サンダルを片方だけ履いたアイオロスの子孫に気をつけろという託宣を得ていたのだ。そしてイオルコスに向かう途中、女神ヘラが姿を変えた老婆を背負って水かさの増したアナウロス川を渡る際、サンダルを片方流してしまった。イアソンに会ったペリアスは、彼を予言された人物だと考え、王位返還の条件としてコルキスにある金色の羊の毛皮を持ち帰ることを命じた。要は、到底実現不能と思われる条件を付けたのだ。
 しかしイアソンはくじけない。コルキスまで一緒に遠征する英雄たちを募り、船大工アルゴスの造ったアルゴ号で出発する。このギリシャ神話最強ユニットの名は、船の名にちなんでアルゴノウツと呼ばれる。途中さまざまな冒険を繰り広げた後、イアソンはコルキス王女で魔法使いのメディアの協力もあって毛皮を入手しイオルコスに帰国、メディアの魔法でペリアスを葬る。しかし結局イアソンはメディアとともにコリントスに行き、そこで王となり、10年を過ごす。
 イアソンの末路については諸説あり、いずれも悲惨なものだ。イアソンがコリントスの王となって10年後、クレオン王の娘グラウケとの結婚話が持ち上がり、メディアを離縁した。怒ったメディアはクレオンとグラウケ、さらには自分の子どもたちを殺して立ち去る。イアソンもこのときメディアに殺された、あるいは自殺したというのが1つ。他の伝説では狂人となって各地をさまよい、ある日イストマスでアルゴ号の残骸を見つけ、その下に立っていると船の舳の梁が落ちて下敷きになって死んだという。

参考:マイケル・グラント、ジョン・ヘイゼル『ギリシアローマ神話事典』大修館書店

アンブリコス(Iamblichus)
 250〜330頃。新プラトン学派の哲学者。新プラトン学派(Neoplatonism)は古代ギリシャの哲学者プラトンの思想を発展させた哲学派で、プラトン哲学をもとに自らの体系を作り上げたプロティノスに始まる。イアンブリコスはシリアのカルキスに生まれ、プロティノスの弟子であるポルフュリオスに学び、アパメアに新プラトン学派の拠点を新設、シリア派と呼ばれる一派を創始した。彼の著作は一部が残るのみであるが、5世紀のプロクロスによりその業績が残されている。プラトンの伝統に従ってダイモンと呼ばれる超自然的存在の人間界への干渉を肯定し、ダイモンを召喚する一種の召喚魔術を行った魔術師ともされる。かの有名な予言者ノストラダムスがその『予言書』の第1章第1編で述べている、足を水に浸して霊感を得る方法も、本来イアンブリコスがその著書『カルデア人とアッシリア人の謎』で述べたものであるともいう。

参考:荒俣宏編『世界神秘学辞典』(平河出版社)
    James Randi『The Supernatural A-Z』Headline

エイツ(ウイリアム・バトラー、William Butler Yeats)
 1865〜1939。アイルランドの詩人、1923年にノーベル文学賞受賞。1922年から1928年までアイルランド自由国家議員も務める。ダブリンのプロテスタントの家庭に生まれる。1885年、ダブリン大学レビューに2編の詩が掲載されたのを皮切りに詩人としての活動を開始。同時にダブリン・ヘルメス協会を組織。ダブリンを訪れた神智学者モヒニ・チャタルジに影響を受け、またブレイクの著作や新プラトン学派、スウェーデンボルグ主義にも傾倒する。1887年に一家が2度目のロンドン移住を行った際ブラヴァツキーの秘教部に加入するが、1890年に脱会。その後魔術結社「黄金の夜明け」に入団、メイザーズ追放の際は反メイザーズ・グループの主導的立場にあったことから、1900年より後継の指導者の地位に就く。しかし会員相互の内紛のため1903年より活動を停止し、1923年には脱会した。晩年はインドのプロヒト・スワミに傾倒しウパニシャド哲学の翻訳にも手を染めていた。

参考:『魔術』学研ムーブックス
    荒俣宏編『世界神秘学辞典』(平河出版社)

エス(Jesus of GalileeあるいはJesus of Nazareth)

 BC4頃〜30頃。キリスト教においては救世主で神の子。イエス・キリストあるいはキリスト(救世主)と言及される。『新約聖書』の4つの福音書によれば大工ヨセフの許婚であった処女マリアが聖霊によって身ごもり、国勢調査のために訪れたベ ツレヘムで産まれ飼葉桶の中に寝かされた。このとき、ベツレヘムの星と呼ばれる明星の導きで3人の東方の賢者が赤子をたずねてきたと いう。この3人は後に聖三王として神聖視されるようになった。
 当時のユダヤ王ヘロデはその頃産まれた子ども全員を殺そうとしたため一家でエジプトに逃れ、ヘロデの死後ガリラヤに戻ってきたと言うが、イエスの少年期については、12歳のときエルサレムで学者たちと論争したという記述が「ルカによる福音書」にあるのみで、遠い親戚にあたるヨハネから洗礼を受けるまでの生涯は不明。他方、エジプトのコプト教徒の間では、聖家族は上エジプトのアシュートに一時滞在し、イエスもそこで学校に通っていたとの伝説がある。
 ヨハネからヨルダン川で洗礼を受けたイエスは砂漠に行き、40日間そこにとどまった。その間サタンの誘惑を受けたがそれを拒絶し、以後ガリラヤの各地で巡回説教をはじめた。彼は死者を蘇らせたり、病を治したり、水をワインに変えたりわずかな食べ物で大群衆を満腹させたりなど数々の奇跡を行って有名になり、後の12使徒をはじめとする大勢の弟子を集めた。しかし、伝統的なユダヤ教の教えに固執する勢力は彼の教えを危険なものとみなし、最後はゴルゴダの丘で十字架にかけられた。処刑後復活し、天に昇った。

個人的見解:イエスの生涯はほぼ全面的に4福音書の記述に依存しており、当時のローマ側の資料でイエスと確実に断定できる人物の記録はない。フラビウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』には、イエスについて述べた部分と、イエスの兄弟であるヤコブの処刑について述べた部分とがあるが、少なくとも前者は後世に挿入されたという説が強い。ただ現在では、『新約聖書』の他の記述が当時の歴史的事実とほぼ一致することもあり、イエスという人物は実在したのではないかというのが通説らしい。彼が起こした数々の奇跡についてはそれを文字通り神の子の奇跡とするものからイエスは異星人だったとする説、じつは彼はクムランのエッセネ派に属し、教団内の隠語で語られた話が『新約聖書』に事実として記されたのだという説などがある。ちなみにイエスはギリシャ語経由で日本に伝えられた名前であり、ヘブライ語では「ヨシュア」という。マリア(ヘブライ語でミリヤム)もヨシュアも、当時のパレスチナ地方では極くありふれた名前だったらしい。また、キリスト教が世界に広まって以来、イエスの姿を見たという人物は世界中に現れたが、彼らが見た人物が「自分はヨシュアという」と述べた事例は知らない。

参考:ピーター・カルヴォコレッシ『聖書人名事典』教文館

エズス会(Society of Jesus)

 1534年8月15日にイグナティウス・デ・ロヨラがフランシスコ・ザビエルら6人の同志 とともに設立したカトリック系修道会。日本では「耶蘇会」、「ジェスイット教団」とも表記される。イエズス会は教皇の希望する地へ宣教に赴くという義務を決め、教皇パウルス3世に会則を提出、1540年に承認され、イグナティウス・デ・ロヨラが初代総長となった。中央集権的 な組織構造を持ち、院長、管区長、総会長をイエス・キリストの代理としてその命令に従う。
 イエズス会は大航海時代の波に乗り、他のキリスト教団に先駆けて世界各地に進出、布教を行った。布教のほかに教育活動や神学研究を主要な活動内容とし、1640年までにヨーロッパに500 以上の大学を設立するなど、ヨーロッパの教育界で指導的立場を果たした。その教育方針はプロテスタントに対するカトリックの立場強化にあり 、日本でも上智大学その他の学校を設立・運営している。日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルもイエズス会設立者の1人であり、日本では1614年のキリスト教禁令で活動が禁じられたが、南米のパラグアイなどではイエズス会が長期間統治を行った。他方キリスト教布教のため現地勢力の対立を利用したり、欧米諸国の植民地拡張に手を貸したとの批判もあり、フリーメーソンとの関係を指摘する者もいる。また宣教地でのイエズス会の指導力拡大が危険視され、1773年、教皇クレメンス14世はイエズス会の解散を命令した。この命令は、1814年に教皇ピウス7世がイエズス会再興を宣言するまでつづいた。

蛇足:日本の世界史の教科書では極めてまっとうなキリスト教団体とされているイエズス会ではあるが、設立者のイグナチウス・デ・ロヨラはけっこう神秘主義的な人間だった。イエズス会の新規入会者は2年間の修練期を経るが、その間のもっとも大切な修行はイグナティウスの『霊操』にしたがって1ヶ月の黙想を行うこと、一呼吸ごとにパーテルと唱えるなどの、イグナティウスが考えた独特な瞑想法を実践することであったが、当時の他の神秘主義に対しては批判的であった。いわゆる陰謀論によれば、フリーメーソンやイルミナティの末端組織とされることも多い。なお、設立者イグナティウスもザビエルも、今ではカトリックの聖人である。

参考:エンガルタ2000
   ジャポニカ(1972年版)

SP(Extrasensory Perceptionの略)

 1934年にデューク大学のジョセフ・バンクス・ラインが用いた言葉で、「感覚外知覚」、「超感覚的知覚」と訳される。五感による情報や論理的な類推など、通常の手段を用いずに外界に関する情報を得る能力のことで、テレパシー、予知、透視・千里眼が含まれる。旧ソ連では「バイオインフォメーション」と呼ばれたこともある。外界に働きかけるサイコキネシスとは区別されるが、双方ともサイという概念に含められる。ESPに属すると思われる現象については、古来数多くの記録があるが本格的な研究はライン博士に始まる。ESP能力のテストに使用される各種のカードを総称してESPカードと呼び、一般的にはライン博士が使用した星、波、四角、丸、十字の五種類の模様が5枚ずつ組になったゼナー・カードが有名であるが、他にも片面に色を塗ったもの、占星術の惑星のシンボルを使用したもの、動物を描いたものなどの種類がある。ESP能力の保持者のことを「エスパー」と呼ぶが、これは本来SF用語である。

参考:Hans J.Eysenck,Carl Sargent著『Explaining the Unexplained』(Prion)

    宮城音哉著『神秘の世界』(岩波書店)

    ライン『超心理学概説』(宗教心理研究所)

エティ(Yeti、Abominable Snowman)

 ヒマラヤの雪男の呼称。ヒマラヤの雪男についての伝説は古くからヒマラヤ山系の住民の間で知られており、古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に登場する巨大な白猿ハヌマーンもじつはイエティのことではないかとされることもある。西洋には19世紀にネパール在住のイギリス人ホジソンがイギリスの科学雑誌にイエティについての記事を書いたことから広く知られるようになった。1951年10月にはイギリスの登山家シプトンがその足跡を写真に収めた。1953年5月、世界で始めてチョモランマに登頂したヒラリーも、イエティの足跡を目撃したという。イエティには幾つかタイプがあり、小さいものは身長1.4〜1.5メートル、大きいものは1.8〜1.9メートルになるが、いずれも顔以外は全身毛で覆われて衣類は付けない。毛の色は赤褐色または灰褐色、腕は極めて長い。ほとんど人間のように直立して腕を大きく振って歩く。ネパールの人間は小さなものを「ラクシ・ボンボ」、中型のものを「リミ」、巨大で肉食のものを「ニャルモット」と呼んで区別している。イエティの目撃談は古来多くあり、足跡の写真も何度か撮影されているが、いまだその実在は確認されていない。ネパールの僧院にはイエティの手の骨とか頭の皮とか称するものが保管されているが、いずれも他の既知の動物のものである。イエティの正体については化石人類のギガントピテクス説の他ヒマラヤに住む隠者などの人間や熊などの誤認説、さらにUFOとの関係を指摘する説などもある。
 他方、平成26年12月27日にNHKBSプレミアムで放映された「幻解!超常ファイル」によれば、現地の言葉で「イエティ」とは、本来さまざまな姿形をした超自然的存在を指す言葉で、日本でいう「妖怪」に近いようだ。そのイエティが毛深い人間のような生物として海外で広まったのは、シプトンがゴリラのような想像図を現地で配り、情報提供者に報酬を出すとしたことがかなり影響しているようだ。

参考:アンガス・ホール著『ネッシーと雪男』学研

EM
 有用微生物群(Effective Micro-organism)の略称で、琉球大学農学部の比嘉照夫教授が発見した。人間や環境に有益な様々な微生物の集合体で、基本的には液体であるが、これを発酵・乾燥させて粉末にしたものを「EMボカシ」と呼ぶ。家庭用の生ごみに混ぜると良質の肥料に変化させるとか、飲むと末期がんに効果がある、さらにはガソリンに混ぜると燃費が大幅に改善するなどいう主張もあるが、なにぶん雑多な微生物の集合体なのでEMのなかのどの微生物がどう作用して効果があるのか証明されていない。

蛇足:以前琉球大学農学部の他の教授と話をする機会があった。その教授が言うには、確かに農産物の育成には効果があるようだが、ガソリンに混ぜたら車が止まってしまったという。癌に効くという点については、そんなことを言うのは止めろと比嘉教授に進言しているとのことであった。なお、EMの普及にはかねてより自然食や自然農法を主張する世界救世教が一枚かんでいるが、比嘉教授自身は信者ではないらしい。

参考:「諸君」1996年12月号


M効果(Electro Magnetic Effects)

 UFO目撃に伴って、周囲の事物、人間、動物、機械などが被る影響を総称する名称。物理的なものと生理的なものに分けられ、物理的なものとしては車のエンジン停止、ラジオ・テレビの受信障害、磁石・腕時計などの故障、停電、レーダーの撹乱、重力の異常、気温や放射線の増大などがあり、生理的なものとしては神経の麻痺、皮膚の火傷や痛痒感、電気ショック、嘔吐やめまいなどの体調の異常がある。さらに着陸時の焦げ跡や発火、動物の混乱、植物の異常、土質の変化などがある。他方、エンジンが停止するほどの強力な磁場に曝されれば、車のボンネット等の磁気パターンに変化が見られるはずであるため、コロラド大学UFOプロジェクトではEM効果を受けた車の磁器パターンを解析したが、特に変化はなかった。

参考:Ronald Story『the Encyclopedia of UFOs』(Doubleday Dolphin)
    エドワード・U・コンドン監修『未確認飛行物体の科学的研究(コンドン報告)第1巻』本の風景社

ギリス心霊研究協会(British Society for Psychical Research,S.P.R.)

 1882年、バレット卿の提唱により、ケンブリッジ大学道徳哲学科教授ヘンリー・シジウィックを会長に創設された心霊研究機関。基本的には心霊現象の存在を肯定しつつも、心霊現象の科学的研究を行った。初年度のメンバーは100人で、名探偵シャーロック・ホームズ・シリーズで有名なアーサー・コナン・ドイル、クルックス管の発明やタリウムの発見を行った理化学者のウィリアム・クルックス、物理学者のオリバー・ロッジ、ノーベル賞を受賞した生理学者のシャルル・リシェなど当時の多くの名士、知識人、科学者が会員に名を連ねていた。この種の機関としては最も伝統を誇るが、現在の活動は低調である。

参考:春川栖仙『心霊研究事典』東京堂出版

    ジャネット・オッペンハイム著『英国心霊主義の抬頭』(工作社)

グナティウス・デ・ロヨラ(St.Ignatius de Loyola)

 1491〜1556。イエズス会創設者。1622年列聖。本名イニゴ・ロペス・デ・レカルド。スペイン北部バスクのギプスコアにあるロヨラ城主の子として6人兄弟(他に姉5人)の末子に生まれる。幼児から騎士に憧れ、16才から26才までカスティリャ王フェルナンド5世の重臣に小姓として仕え、後に軍人となる。1521年5月パンプローナの防衛に従事したが左足に砲弾を受け、療養中サクソニーのルドルフが書いた『聖者の生涯』と『キリストの生涯』を読んで回心し全生涯を神にささげる決心をする。1522年にはベネディクト会のモンセラート修道院を訪れて、有名な黒い聖母像の前で修道生活へのあこがれを強く感じ、近くのマンレサやカタルニャの洞窟などで10カ月と3週間の祈りの生活をした。このとき、人のためにつくす使命を神からあたえられたという。マンレサでは聖母の姿を見、その後施しを受けながらエルサレムに巡礼し、1524年に帰国。マンレサの洞窟では主著『霊操』の大部分を書く。その内容が異端ではないかと疑われたが許され、その後バルセロナのラテン語学校で学ぶ。さらに1526〜1527年にアルカラとサラマンカ大学、1528〜1535年にはパリ大学で学んだ。パリ大学在学中の1534年には、イエズス会の母体となるグループを結成。1537年、ベネツィアでフランシスコ・ザビエルをふくむ5人とともに司祭に叙階され、その後2人の同志とともにローマへ行った。1540年には教皇パウルス3世(在位1534〜49)の同意をえて、正式に「イエズス会」創立が認可された。翌年、イエズス会総長にえらばれ、死ぬまで「会則」と『霊操』の執筆に身をささげ、本部のローマで会の発展につくした。瞑想しているときに地上から30センチ浮き上がっていたとも言われる。祝日は7月31日。

蛇足:『霊操』は、今なお世界じゅうの修道者や信徒にもちいられている瞑想(めいそう)の手引き書であるが、一呼吸ごとに「パーテル」と唱えるなど、見霊者ロヨラ独自の修行法がちりばめられており、一部では魔術書としても用いられている。

参考:Joan Ashton『Mother of Nations』Veritas
   Encarta2000

グリントン(ウィリアム、William Eglinton)

 1857〜1933。イギリスの物質化霊媒。空中浮揚や石板書記、天上を擦り抜けての移動などの現象を見せた。奇術師のハリー・ケラーはその交霊会でイグリントンととも空中浮揚しその能力を信じた。1884年からは石板書記の能力を発揮し、同年10月29日には当時のイギリス首相グラッドストンも彼を訪ね、誰にも見せずにスペイン語とギリシャ語とフランス語で質問を書いたところその答が各国語で帰ってきたためその真正を信じ、グラッドストンがイギリス心霊研究協会に入会する契機となった。他にシャルル・リシェもその能力を本物と保証したが、コーリー大執事は彼をいかさましとし、シジウィック夫人、ホジソン、デビーが行なったイギリス心霊研究協会の調査報告は彼に批判的であった。1886年には、ルイス・カーギルにそのトリックを暴かれる。後にかつらや髭などを隠し持っていたのが発見された。

参考:James Randi『Supernatural A-Z』Headline

シス(Isis)
 エジプト神話の女神。古代エジプトの都市ヘリオポリスの神学によればゲブとヌートの子で、オシリス、セト、ネフティスとは姉妹。兄オシリスとは子宮にいるとき、あるいはオシリスの死後に結婚した。その名は「座席」を意味し、オシリスの玉座の化身を示す。オシリスは人類に文明を教えた文明神で、イシスは夫オシリスの仕事を助け、結婚を制度化し、女性に穀物を挽いたり、リンネルを紡ぎ織ることを教えた。また医療神トートの助けを得て医療の知識を人類に教えた。オシリスは弟セトとの争いで殺され、遺体は箱に入れて流されたため、イシスは未亡人の喪服を身につけ、髪の毛を半分に切り落とし、箱に入った夫の遺体を取り戻す旅にでた。箱はフェニキアにある都市国家ビブロスで、王宮の柱に使われているギョリュウの木に中にあった。イシスはビブロスの王妃アスタルテの乳母となり、生まれたばかりの子には彼女の指だけをしゃぶらせて育て、夜になると神聖な清めの炎で焦がし、子供を不死にしようとした。ある日王妃が子供の様子を見に来ると乳母はツバメの姿で王宮の柱の周りを飛んでいた。王妃が驚いて叫んだため呪文が破れ、子供の不死はかなわなくなった。イシスが素性を明かしたので、王は柱を与え、イシスは柱を切って箱を発見した。イシスは魔法によって死せる夫から妊娠した。エジプトに帰るとデルタ地方の沼地ブトの近くに身を隠したが、セトは偶然オシリスの箱を発見し、死んだ兄の遺体を14に切り裂いて王国の各地にばら撒いた。イシスは夫の遺体を捜し、見つかった場所で葬儀を行い供養碑を建てた。性器はナイル川に投げ込まれカニに食べられたがイシスは別の性器を作り、遺体を復元し油を塗った。これがミイラ作成の神話上の起源である。その後イシスは7匹の守護の蛇にともなわれてブトの沼地でホルスを生んだが、ある日ホルスは毒蛇に変身したセトに噛まれて死にかけた。しかし太陽神ラアの呪文でホルスは救われた。イシスはエジプト史のほとんど全時代を通じ崇拝され、頭に王冠をつけた女性の姿で表現された。別の女神ハトホルと同視されたこともある。イシス崇拝はローマ帝国でも広がりカリグラ帝の治世にローマ近くに神殿が建てられ、カラカラ帝はローマにイシス神殿を建てた。

蛇足:イスラエルの情報機関「モサド」の英語名は「Israel Secret Inteligence Service」略してISISになる。

参考:ヴェロニカ・イオンズ『エジプト神話』青土社

シュタル
 古代メソポタミアのアッカド、アッシリアやバビロニアの中心的女神で、楔形文書にもっとも頻繁に登場する。天神アヌまたは月神シンの子とされ、古代セム族世界では、地域によって異なる神として崇拝され、アラビアやアビシニア(現エチオピア)では男神アスタル、カナンやイスラエルでは女神アスタルテとなる。同じバビロニアでも地方によっては、夜の星とむすびついて崇拝される女神や、朝の星の女神にもなる。ギリシャ神話ではアフロディテ、ローマ神話ではビーナスにあたる。女神としてのイシュタルは、大地母神、豊穣の女神、そして天国の女王だったが、それとは反対に破壊的な性格ももっていた。とくにアッシリア人からは、狩猟と戦争の女神と考えられ、剣や弓、矢筒とともに描かれた。バビロニア人の間では、彼女はまぎれもなく母なる女神として、裸身やふくらんだ乳房、あるいは胸に子供をだいた母としてえがかれていた。シュメールのイナンナの性格を受け継いだものと思われ、夫であり息子でもある男神タンムーズを復活させるべく冥界に下った神話はイシュタル秘儀として知られる。

参考:Encarta2000

ースター島(Easter Island)

 チリ海岸から3800キロの南太平洋上にあり、一番近くの島まで1900キロという絶海の孤島で、1723年、オランダの探検家ヤン・ロッゲフェーンがイースターの祝日に発見したためこう呼ばれるが、正式名はパスクア島。周囲58キロ、面積165平方キロの小さな島であるが、島内の各地にモアイと呼ばれる独特の巨石像が残されていることで有名。ジェームズ・チャーチワードは、この島は自ら主張するムー大陸の東南端であったとしている。1770年にスペインの支配下に入り、その後ペルー船により島民が奴隷にされたり天然痘の流行などから人口が減少、モアイの由来やロンゴ・ロンゴを読める人間が消滅。鳥人信仰も残る。→バーチャルツアーへ

蛇足:まだチャーチワードのムー大陸が人々の注目を集める前は、イースター島は古い石像がごろごろしているだけの何の価値もない孤島であった。その頃チリ政府は、軍艦建設の費用捻出のためイースター島を売却しようとしたことがある。日本にも打診があったらしい。

参考:トール・ヘイエルダール著『アク・アク』(社会思想者社)

    ジェームズ・チャーチワード著『失われたムー大陸』(大陸書房)

スラエル・ベン・エリエゼル(Yisra'el ben Eli'ezer)
 1700頃〜1760。ポーランド系ユダヤ人の神秘主義者。いわゆるハシディズム運動の創始者。バアル・シェム・トーブ(正しい神の名の熟達者)、あるいはその頭文字をとってベシトとも呼ばれる。ウクライナのポドーリエ地方のオコプに生まれる。20歳でカルパティア山岳に隠棲し、1730年頃ミェンジブシュのトルステに移住、35,6歳頃から病気を治療する祈祷師として有名になった。彼は禁欲的苦行や現実逃避的な終末思想には反対し、神を礼拝する喜びを強調してわかりやすい説話的な訓話を行って信者を集めた。ハシディズムは、彼の周囲に集まった人々の間で自然発生的に生じた宗教運動である。ハシディズムにおいてイスラエル・ベン・エリエゼルは、神により全宇宙のあらゆる存在を統御でき、神と人間の間を仲介できるツァディク(義人)と信じられており、魔女が魔法で旱魃を起こしたため雨乞いを行ったとか、ある村で魔術を使う伯爵と対決したなど多くの伝説が残る。

参考:ピンハス・サデー編『ユダヤの民話(下)』青土社
   石田友雄『ユダヤ教史』山川出版社

星人解剖フィルム(Santilli Film)

 1947年にロズウェル事件で墜落したUFOから回収された異星人の死体を解剖する模様を記録したというフィルムのことで。所有者の名をとって「サンティリ・フィルム」とも呼ばれる。ロンドンの音楽プロデューサーであるサンティリ本人が主張するところでは、このフィルムを撮影したカメラマンはジャック・バーネットという人物で、バーネットは軍から、ソコロの南西方向に正体不明の航空機が墜落したので急行し、現場のすべてをフィルムに収めるよう電話で命令されたという。彼が空軍機を乗り継いで墜落現場に急行したところ、異星人4人のうち3人はロープで縛られ、他の1人は死んでいた。UFOの機体の分析は基地に運んで行われることになり、トレーラーに乗せられてライトパターソン基地へと輸送された。バーネットもライトパターソン基地に3週間滞在した。最初の2体の異星人の解剖は1947年7月に行われたという。
 1995年、フィルムが最初に公開された当初は世界的な反響を呼び、日本でも1996年2月2日にフジテレビで特別番組が放映されたが、ロズウェル事件で目撃された異星人の遺体は手の指が4本であったのにフィルムの異星人は6本あること、フィルムに写る金属片の模様が、ロズウェル事件関係者の証言と異なること、さらに解剖や撮影の手順に不自然な点があることなども指摘された。実際、このフィルムに付属するテントフッテージと呼ばれる部分で医師を演じているエリオット・ウィリスは、フィルムは1994年に製作されたと証言しており、2006年になって、映画の特殊美術などを手がける彫刻家ジョン・ハンフリーが、自らが製作者だと名乗り出ている。

個人的コメント:個人的にはなかなかよくできたフィルムと思うのだが(もっとも、カラーよりモノクロの方がごまかしやすくはあろう)、欧米のUFO界では公開当初から偽物とする声が強かったようである。そのときは、奇形の人間を解剖した云々などという声もあり、厳密に映像や解剖の手順などを分析したというより、サンティリの対応がまずかったことで感情的反発を招いた結果であるように思われる。実際にどのくらいの費用でこのフィルムが撮れるかについてはいくつか説があるようだが、かなり短期間で作成されたものらしい。

参考:カーティス・ピーブルズ著『人類はなぜUFOと遭遇するのか』(ダイヤモンド社)
   桜井慎太郎『図解UFO』新紀元社


ッシー

 鹿児島県指宿市にある九州最大の湖、池田湖に住むとされている怪獣に付けられた名前。以前から池田湖には巨大な主がいるという噂があったが、1976年12月16日に望遠撮影された。1978年には20名以上が同時に目撃する事件もあった。巨大なこぶを2つ持つ怪獣でこぶとこぶの間隔は約5メートル、かなりな速度で水面を泳ぐ。1991年にはビデオにも撮影された。湖は水深233メートルのカルデラ湖で全長2メートルを越える市の天然記念物オオウナギが生息。他に魚の群説や細波説もある。

参考:羽仁礼『超常現象大事典』成甲書房


ナンナ(Inanna)
 古代メソポタミアに栄えたシュメール、アッカドの女神で、インニン、ニンニとも呼ばれる。豊壌、戦争、正義、愛、治療を司り、男神アヌとともにウルクを主聖域とする。元来は「ニン・アンナ」と呼ばれ、「天の主人」の意味。イナンナを示す絵文字は豊穣の象徴である葦束から発達。イナンナの兄弟である太陽神ウトゥは牧神ドゥムジとの結婚を勧めるがイナンナは農耕神エンキムドゥを心に決めていた。そこでドゥムジは農産物よりも牧畜製品を誉めてイナンナに迫り、結果的にイナンナはドゥムジと結婚した。バビロニアのイシュタルに相当する。

参考:『古代メソポタミアの神々』集英社

ルミナティ(Illuminati、Illuminated)

 「光明結社」と訳される。ドイツ生まれのイエズス会士アダム・ヴァイスハウプトが、王権や教会など地上のあらゆる権威を否定し、神秘主義的イニシエーションを受けた者による独裁を目指して1776年5月1日に創設した秘密結社「バヴァリア幻想教団」のこと。ただしそれ以前にイルミナティを名乗る結社が存在したとする説もある。結社内にフリーメーソンに似た位階を導入していたが、1780年、ドイツのフリーメーソンであったクニッゲ男爵の加入以来神秘主義的団体として勢力を拡張する。後にフリーメーソン全体をイルミナティと化すべくバイスハウプトもフリーメーソンに加入するが、クニッゲ男爵が教団の乗っ取りを図っていると考えて仲違いし、同時期にババリア政府も弾圧に乗り出したためヴァイスハウプトはフランスに逃亡した。しかしイルミナティの世界再編の革命理論はフランス革命にも影響し、フランスの神秘主義急進派もイルミナティを名乗った他、この運動はヴァイスハウプト自身とともに消滅するが、未だにイルミナティがフリーメーソンを通じて世界支配を企むとの陰謀説の主役となっている。

参考:荒俣宏編『世界神秘学事典』(平河出版社)

    アンドレ・ナタフ著『オカルティズム事典』(三交社)

ンプラント(Implant)

 異星人等により体内に受信機、発信機を埋め込まれるケース。アブダクション事件の際、アブダクティーに手術跡が残されている場合や、退行催眠によりその事実が明らかになる場合もある。実際にこうした人物の体内から物体が発見されることもあるが、それらは複雑な機械装置ではなく、ガラスや金属片のような単純なものである。異星人により、体内に機器を埋め込まれたと主張する人物をインプランティーと呼ぶ。

参考:Ronald Story『the Encyclopedia of UFOs』(Doubleday Dolphin)

謀説(Conspiracy Theories)

 UFO事件に関し、何らかの機関がその真実を隠蔽し、密かに情報を隠匿している。あるいはUFOそれ自体が何らかの陰謀の産物であるとする説。陰謀の主体としてはアメリカ軍や、CIAなどの情報機関とされることが多い。代表的なものは米軍が墜落した宇宙船を密かに回収しているとか、宇宙人の死体やUFOの残骸がライトパターソン空軍基地やエドワーズ空軍基地に保管されている、あるいはアメリカ政府が宇宙人と密約を結んで、技術供与と引き替えに彼らが地球人を拉致するのを黙認しているとかいうものであるが、いずれも確たる証拠を持つものではない。実際にCIAがUFO関係の情報を機密文書として保存していたのはUFO裁判の結果公表された文書からも明らかではあるが、アメリカ政府が通常以上の機密としてUFOを扱っているという証拠は今のところなく、UFO裁判においても、「UFO情報の公開は国家の安全に重大な影響を与えるものではない」という理由から文書の公開が認められた経緯もある。

参考:Ronald Story『the Encyclopedia of UFOs』(Doubleday Dolphin)

陽五行説(いんようごぎょうせつ、Yin-Yang school)

 古代中国に生まれた世界解釈で、宇宙の万物、あらゆる現象を陰陽の二元と木、火、土、金、水の五つの元素の相生、相克で、生成、変化で説明しようとするもの。本来陰陽と五行とは別の概念であり、基本元素を5つとするもの以外にも幾つかの学派が存在したが、当時肉眼で観察可能な惑星の数が5つであったこと、人体の付属器官が5(両手両足と頭)であることなどから五行説が次第に力を得、陰陽学派と結びついた。現在では殆ど全ての東洋系の占いに何らかの形で取り入れられている。

参考:永田久『暦と占いの科学』新潮選書