一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第10号 ガリポリ上陸作戦、オーストラリアのアンザック・デイ 

 

 

 ガリポリ上陸作戦は、第一次世界大戦におけるウィンストン・チャーチル海軍大臣最大の失敗とも言われている。
 1915425日、英仏にオーストラリアとニュージーランドの部隊を加えた連合軍は、アナトリアの対岸にあるガリポリ半島に上陸を開始した。ところが上陸作戦が開始される頃には、オスマン帝国軍は上陸予想地点に兵力を増強し、堅固な陣地を構築して待ち構えていたのだ。戦線は膠着し、結局連合軍は191619日までに全面撤退した。
 ちなみに、イギリス陸軍ノーフォーク連隊の兵士341名が丘に垂れこめた雲の中に行軍したまま行方不明となり、そのまま全員が消失したという都市伝説も、このガリポリでの戦いを舞台としている。
 この英仏オーストラリア・ニュージーランド連合軍の上陸作戦を阻み、最終的に撤退に追いやった最大の立役者が、ムスタファ・ケマル・パシャ、後のケマル・アタチュルクであった。
 ケマル・パシャは一躍救国の英雄となり、オスマン帝国国内だけでなく全世界にその名を轟かせることとなった。ついには連合軍に浸食された祖国の解放戦争を戦い抜き、現在のトルコ共和国の基盤を据えて初代大統領に就任する。
 一方、敗れた連合軍、特にオーストラリア・ニュージーランド連合軍(略してANZAC)にとって、ガリポリ上陸の日である425日は一種の戦没者記念日となっており、オーストラリアではアンザック・デイと称する国民の休日である。
 ところで、オーストラリアの首都キャンベラには、戦争記念館というものがある。スーダンのマハディー戦争からイラク戦争まで、オーストラリアが旧宗主国イギリスとともに戦ったすべての戦争に関する展示のある博物館である。
 第二次世界大戦のコーナーでは日本兵の残虐性を強調するものもいくつかあり、日本人は多少居心地の悪い思いもするが、この戦争記念館の一角に、憎むべき敵であったはずのケマル・アタチュルクの胸像が飾ってあるのだ。強敵ではあったが、やはり尊敬すべき相手ということらしい。
 さらに知り合いのトルコ人外交官によると、上に述べたアンザック・デイは、今やトルコと両国の交流の機会ともなっているという。
 「強敵」と書いて「とも」と読む世界が、ここには実在している。 

        客員研究員・桜井 慎太郎(2011年7月1配信)



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