一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第14号 スイスの女性霊媒エレーヌ・シュミートことカトリーヌ=エリーズ・ミュラー@

 

  有名なジョージ・アダムスキー(1891〜1965)はじめ、1950年代に続々と名乗りをあげた、いわゆる「コンタクティー」たちは、火星や金星など、太陽系内の惑星からUFO(当時は「空飛ぶ円盤」)に乗って地球を訪れた友好的な異星人(スペース・ブラザーズ)たちと実際に顔を合わせ、彼らの故郷の様子だけでなく、将来地球を襲う災害や、古代の地球で起きた大戦争、さらには人生の意味を説き明かす哲学など、さまざまな情報を得たと主張しておりました。
 その後はむしろ、こうした異星の存在とは、トランス状態で接触するとか、テレパシーで会話するお手軽な方法、つまりチャネリングが優勢となりましたが、じつは、このやり方は空飛ぶ円盤時代よりも前にあったようです。
 17世紀にはかのエマニュエル・スウェーデンボルグ(1688〜1772)が、トランス状態で太陽系の他の惑星を訪れ、そこの住民の状況を詳しく述べておりますが、19世紀末の心霊主義全盛時代、火星の模様を見聞し、さらには火星の言語なるものを話したり、自動書記で書き残したりした霊媒がおりました。これがスイスの女性霊媒、カトリーヌ=エリーズ・ミュラー(1863頃〜1929)で、「エレーヌ・シュミート」という偽名でも知られています。
 このミュラーについては、スイスの心理学者テオドール・フルールノア(1854〜1920)がかなり詳しい研究を行っており、その課程でフランスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(1857〜1913)なども関わっております。さらには、芸術としての超現実主義の発祥にもなにがしかの影響があったと言われております。
 フルールノアは、ドイツのヴィルヘルム・ヴント(1832〜1920)の系列に連なるスイスの心理学者で、フランスのストラスブールで医学を学び、1891年からジュネーブ大学で心理学などの教授を務めていました。心理学者としては、共感覚や夢遊病の研究も行っておりますが、一方でイギリス心霊研究協会(SPR)会員でもあり、テレパシーやサイコキネシス、そして死後生存などにも関心を持っていました。
 フルールノアの著書『インドから火星へ』によれば、1894年12月、フルールノアはジュネーブ大学の同僚、ラメートル教授の紹介で、初めてミュラーの交霊会に出席しました。
 つまり、この時点までにミュラーの名は、霊媒としてジュネーブでそれなりに広まっていたということになります。
 では、問題のミュラーとはどういう女性だったのでしょう。
 フルールノアは心理学者として、この女性の性格、人生の歩み、過去の経歴などは、霊媒としての彼女の活動やトランス状態での発言に深く関係があると考えたようです。そこで、『インドから火星へ』の中でも、こうした点について、誇張を極力排除して書き残しております。
 ミュラーの父親はハンガリー生まれの商人で、イタリアやアルジェリアなどを旅した後ジュネーヴに落ち着き、そこでミュラーの母親と結婚しました。この父親は、ハンガリー語はもちろん、ドイツ語やフランス語、イタリア語、スペイン語に堪能で、他に英語やギリシャ語、ラテン語の知識もあったようです。
 つまり、異種言語発話現象の基礎知識を潜在意識に蓄える機会があったということです。
 母親はジュネーヴ生まれで、従来から心霊主義的傾向を持っていたようです。  ミュラーの妹は3歳で死亡しておりますが、この母親はそのとき、深夜に目覚めて天使の姿を見たということです。
 ミュラー本人は、高校を1年で中退すると、大きな商店に勤めるようになりました。商店ではそれなりに評価され、ある程度責任ある持ち場をまかされたようです。
 一方で、ミュラーは少女時代から、ある種の幻覚や幻聴を経験していたということです。つまり、以前から神秘的性向があったものと考えられますが、そのミュラーが本格的に心霊主義と関わり、自ら霊媒として活動するようになったのは、1891年に友人から『死んだ後』という本を借りたことがきっかけでした。

今回の参考:Theodore Flournoy『From India to the Planet Mars』(Forgotten Booksによる復刻版)

                     主任研究員・羽仁礼記(2011年11月1日配信)


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