一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第15号 スイスの女性霊媒エレーヌ・シュミートことカトリーヌ=エリーズ・ミュラーA

 

 1891年の冬、シュミートはY夫人なる人物から、『死んだ後』という書物を借り受けました。もちろんY夫人も心霊現象には非常に関心を持っており、そのまた知り合いであるZ夫人が主催する交霊会グループに所属しておりました。そこでミュラーも、翌年2月から、このZ夫人の交霊会に参加するようになりました。
 Z夫人は、すぐにミュラーの霊媒としての才能を見抜きました。
 当時世界中で流行していた霊との交信手段は、テーブル・ターニングというものでした。
 このテーブル・ターニングは、19世紀半ばから世界中で大流行し、日本に伝わって三脚型コックリさんに変化したわけですが、誰がいつはじめたのか、はっきりしません。ともあれ、霊との交信においては、テーブルが勝手に動いて定められた数だけ床を叩くとか、アルファベットを数字に置きかけて、テーブルの脚が床を叩く回数を数えて文章をつづるとかして霊と交信するわけです。
 1892年2月、Z夫人の交霊会にシュミートが参加した直後から、テーブルが動いてシュミートの名を示したり、シュミート自身が幻覚を見たりするようになりました。この交霊会はあまりにも参加者が増えたので結局2つのグループに分かれ、シュミートはN夫人の家で毎週交霊会を開催するようになりました。
 そして1982年4月1日、まずはデヴィッドと名乗る霊が現れました。その次に現れた霊は、何とヴィクトル・ユゴーと名乗りました。あのフランス・ロマン派の詩人にして、『レ・ミゼラブル』で知られる大作家、ヴィクトル=マリー・ユゴー(1802〜1885)の霊が現れたのです。ちなみにヴィクトル・ユゴーは、親交のあったドゥルフィーヌ・ド・ジラルダン(1804〜1855)の影響を受けて心霊主義に傾倒していた時期があり、その頃は毎日のようにテーブル・ターニングを行っておりました。
 同じ年の4月26日の公例会で、今度はレオポルド(フランス語ではレオポール)と名乗る別の霊が現れたのです。そしてこのレオポルドの正体はなんと、あのカリオストロ伯爵、本名ジョゼッペ・バルサモ(1743〜1795)だと判明したのですが、その過程では、もう1人のフランスの文豪、アレクサンドル・デュマ(1802〜1870)が関わっておりました。
 じつは、デュマの作品の1つに、カリオストロを主人公とした『ジョゼフ(ジョゼッペのフランス読み)・バルサモ』というものがあるのですが、この作品には、カリオストロがデカンターを前に相手と話している場面を描いた挿絵がありました。そしてあるときミュラーは、レオポルドがテーブルのデカンターを指さす幻を見たのです。N夫人の交霊会の常連の1人がこの話を聞いて、その挿絵をミュラーに見せたことから、ミュラーはレオポルドの正体はカリオストロだと考えたのです。
 レオポルドは、ミュラーに憑依した状態で、何回か文章もしたためています。その際は、普段のミュラーとはペンの持ち方も筆跡も異なり、綴りにも独特の癖が現れたのですが、フルールノアはジュネーヴの公文書館でカリオストロの手紙を見つけ出し、レオポルドの筆跡と比較しています。残念ながら、両者はけっこう異なっています。
 ともあれこのレオポルドと名乗る霊は、ユゴーの霊を差し置いて頻繁に交霊会に現れるようになり、後になるとユゴーの霊はどこかへ姿を消してしまうのです。なお、フルールノアは指摘しておりませんが、幼くして亡くなったヴィクトル・ユゴーの長男も、じつはレオポールという名でした。

今回の参考:Theodore Flournoy『From India to the Planet Mars』(Forgotten Booksによる復刻版)

                     主任研究員・羽仁礼記(2011年12月1日配信)


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