一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第18号 聖母マリアの顕現:エジプト編@

 

聖母マリアといえば、キリスト教徒が人類の救世主と信じるイエスの産みの母です。
 日本語のマリアという発音は英語経由のもので、本来のヘブライ語では「マリヤム」が近いようです。
 聖母マリアの処女懐胎については、「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」に記されていますが、マリアはヨセフと婚約中で、しかも男性経験がなかったにもかかわらず懐妊してしまったというのです。当然ながら婚約者ヨセフは、マリアが不純な性行為を行ったものと疑い、婚約を解消しようとしますが、そのヨセフの夢に現れたのが大天使の1人ガブリエルでした。
 ガブリエルはヨセフに、マリアの子は聖霊によって宿ったことを告げます。
 「ルカによる福音書」では、マリアは、洗礼者ヨハネの母エリサベトと親戚で、天使ガブリエルに懐胎を告げられてから3ヶ月ほどエリサベトのところにいたことになっています。
 その後住民登録のため、マリアは夫ヨセフとともにベツレヘムを訪れ、イエスはそこで産まれました。さらに、当時のユダヤ王ヘロデが、その年に産まれた子を殺そうとしたため、一家はエジプトに逃れます。
 イエスが伝道を始めてからの聖母マリアの行動は、福音書ではよくわかりませんが、イエスが故郷のナザレに立ち寄ったとき、母マリアやイエスの兄弟たちがやってきたという記述もあります。
 そして「ヨハネによる福音書」では、イエスが十字架にかけられたとき、聖母マリアも傍らにおり、イエスの死後は弟子の1人と一緒に暮らしたとされています。
 聖母マリアはまた、イスラム教の聖典である『コーラン』でも、預言者の1人として登場します。後世の伝説になると、マリアの父はヨアキム(『コーラン』ではイムラーン)、母はアンナとされ、イエスの死後はトルコのエフェソスに住み、最後は12使徒に囲まれて昇天したとも言われています。
 この聖母マリアの姿を見たという報告は、かなり古くからあります。
 有名なのはフランスのルールドやポルトガルのファーティマなどですが、じつはエジプトでも、何度か聖母マリアの姿が目撃されています。 エジプトの首都カイロでは、1968年、1986年、そして2009年にも、聖母が出現するという事件がありました。
 こうしたエジプトの聖母事件には、他国の聖母事件には見られない大きな特徴があります。それは、その姿が、不特定多数の大勢の人々に確認されたということです。
 それぞれの事件について紹介する前に、エジプトのキリスト教徒について説明しておく必要があるでしょう。
 現在のエジプト国民の大部分はイスラム教徒ですが、人口の
6%とも10%ともいわれるキリスト教徒がおります。エジプトのキリスト教は、コプト教と呼ばれ、ローマ・カトリックとは別に教皇を戴いています。
 伝承によれば、エジプトにキリスト教を布教したのは、12使徒の1人で、福音書を残したともされるマルコでした。マルコはアレクサンドリアに教会を建て、以来コプト教の教皇は、このマルコの座を受け継いでいると主張しています。
 コプト教は、イエス・キリストは人として性質も持っていたものの、それは神としての性質の中に吸収された、つまり、イエスの人としての性質と神としての性質は一体であると考えました。この考えは、451年のカルケドンの公会議でローマ・カトリックから否定され、以来コプト教会は独自の道を歩んでいます。
 ちなみに、マルコの遺体はアレクサンドリアの修道院に保存されていましたが、イスラム教徒がエジプトを支配していた9世紀に、2人のヴェネツィア人商人が修道院から買い取ってヴェネツィアに運びました。今では、その名もサンマルコ(聖マルコ)広場にある大聖堂に安置されています。 このとき、商人たちは、大きなパン籠の底に遺体を置き、その上にイスラム教徒の嫌う豚肉を一杯詰めて検査を逃れたと言われています。

                                 主任研究員羽仁礼記(2012年3月1日配信)



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