一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第45号 心霊写真の歴史

  2月1日、早稲田大学戸山キャンパスで、「心霊写真の文化史−メディアテクノロジーの発展と亡霊表象の変遷」と題したワークショップが開催されたので聴講してきました。

 ワークショップとはいっても、講師陣が発表を行ってそれに対する質疑を行うという、一種の講演会です。講師陣は、浜野志保千葉工業大学准教授、前川修神戸大学准教授、橋本一径早稲田大学准教授の3名で、演題は浜野准教授が「奇術師vs 幽霊−心霊写真の”作り方”」、前川准教授が「機械のあいだの幽霊−ポスト・ビデオ的心霊映像」、橋本准教授が「オーラの痕跡−イポリット・パラデュックの科学的心霊写真」というものです。どれもそれなりに勉強になりましたが、個人的には浜野准教授のお話が当方の関心に一番近かったです。

 もちろん、皆さんアカデミズムの枠内で心霊写真という現象を扱っているので、この種の写真は霊を写したものではないという建前で話をなさってますが、浜野助教授については専門が英文学であるにもかかわらず、イギリスの SPR会員でもあるらしく、しかも心霊写真だけでなくヒュームに関する論文なんかもあるようで、少なくとも個人的に関心をお持ちではないかと勝手に推察しております。

 橋本先生には、ライヘンバハの「オド」がヘブライ語起源という、ちょっと首をかしげる発言もあったりしましたが、浜野先生ご自身はマムラーからクルー・サークルにいたる心霊写真家を紹介した上、ビリーヴァーとしての科学者とデバンカーとしての奇術師という図式の中、イギリスのマジック・サークルが行ったトリック暴きを要領よく説明されていました。最後にスピリチュアリティを研究しているという女性からオーラ写真の歴史についての質問がありましたが、残念ながら一貫した流れは答えられませんでした。

 心霊写真は、アメリカのマムラーが1861年に始めたとする説が広まってますが、実際にはその前年にキャンベルなる人物が空の椅子を写したところ、いなかったはずの男の子が入っていたという例があるようです。キャンベルは、なんだこの変な写真とおもっただけでそのままにしたようですが、マムラーはこれを商売にして一躍有名になりました。その後フランスのビュゲやクルー・サークルやらが、料金をとって同じような心霊写真撮影を行います。これらは、本人の写真を写すと、近親者の霊らしきものが映っているというもので、19 世紀末にはすたれたようですが、アメリカの心霊キャンプなどではしっかり生き残っているようです。

 人間の姿ではなく、何か不思議な形が写っている写真については、橋本先生の主題にもなったイポリート・パラデュックが、自分の息子の死の瞬間を写したところ、ぼんやりした波のようなものが、周辺に飛び散る様子が写っていたというものがあります。それ以前にもパラデュックは未現像の乾板に手を当てて何らかのイメージを写しだそうとしたことがありますが、これは念写のはしりとされているようです。こうしたものをオーラ写真の元祖と呼ぶかどうかは悩ましいところですが、ともあれ、現在のオーラ写真に直接つながるのは、 1937年にソ連で開発されたキルリアン写真でしょう。『ソ連圏の四次元科学( 上)』によれば、キルリアン写真を開発したセミヨン・キルリアンは電気製品の修理などを行っていた人物らしく、旧ソ連のイデオロギーに従ったのか、キルリアン写真も人間のエネルギー場を写したものとしているようです。こうした流れからすると、キルリアン写真は心霊研究の流れとは関係なく発見され、西側でオーラ写真と宣伝されたためプチ心霊主義に組み入れられたように思われます。

今回の参考:S・オストランダー、L・スクロウター『ソ連圏の四次元科学(上)』たま出版
      春川栖仙『スピリチュアル用語辞典』ナチュラルスピリット
      リチャード・ワイズマン『超常現象の科学』文藝春秋

                 主任研究員羽仁礼記(2014年2月20日配信)

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