一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第49号 空飛ぶ円盤のあけぼの1

 手許に、「日本主要UFO研究団体略系譜」というB4一枚紙の資料があります。末尾には「編集日本UFO情報センター(志水一夫)発行日本宇宙現象研究会(並木伸一郎)監修日本空飛ぶ円盤研究会(荒井欣一)」と記されており、1955年7月に結成された「日本空飛ぶ円盤研究会」以降、1976年頃までの日本における主要UFO研究団体の離合集散を記したものです。今となっては、どのようにこの資料を手に入れたか、記憶もはっきりしないのですが、おそらくは生前の荒井欣一先生からいただいたものと思われます。

 というわけで、日本空飛ぶ円盤研究会結成を日本のUFO研究元年とするなら、来年はなんと記念すべき60周年となるわけです。日本空飛ぶ円盤研究会には、翌年「空飛ぶ円盤研究グループ」(後に「宇宙友好協会」に発展)を結成する松村雄亮氏や、「近代宇宙旅行協会」の高梨純一氏など、多くのUFO 関係者だけでなく、石原慎太郎現参議院議員や三島由紀夫、徳川夢声、黛敏郎など、有名な人物が大勢名を連ねていたことでも知られています。最終的に会員の数は1000 人を越えましたが、1960年に至り、荒井会長の健康上の理由と財政難とで活動を休止しました。

 荒井会長はじめ、高梨純一氏、久保田八郎氏など、日本のUFO研究草創期を見てこられた各氏も、今は多くが鬼籍に入られております。

 こうした中、一般社団法人潜在科学研究所は、日本空飛ぶ円盤研究会の貴重な生き残りの1人である、斉藤守弘氏とのコンタクトに成功しました。斉藤氏といえば、昭和30 年代から多くの関連書をしたため、後のUFO界にもさまざまなアイテムを提供したお方です。ご自身は、荒井氏及び高梨氏と並んで、日本で最初にUFO 研究を始めた3人の最後の生き残りを自称しておられます。日本のUFO 界草創期の状況について、いくつか貴重なお話もうかがってきました。そうした貴重な証言も交えつつ、日本での空飛ぶ円盤研究草創期についてわかる範囲で述べておこうと思います。わからないことも多いので、皆様のご意見をお待ちしています。

 まずUFO(空飛ぶ円盤)が最初にどのように日本上陸したか、なのですが、これ自体じつははっきりしていません。和田登『いつもUFO のことを考えていた』(文渓堂)P18によれば、当時大蔵省に務めていた荒井氏は、アメリカ軍向けラジオ放送でほぼリアル・タイムでアーノルド事件について知ったことになっています。他方最相葉月『星新一−一〇〇一話をつくった人』(新潮社)P193 によれば、ある地方紙でアーノルド事件を知ったことになっています。しかし、この地方紙の報道というものは、当法人として確認しておりません。そして『UFO と宇宙』1978年12月号の荒井館長インタビューでは「一般のニュースのようにすぐ報道されたわけではなかったです。FEN (アメリカ陸軍放送)では放送したようですが」(P20)となっております。これが正しいとすると、日本でのリアルタイムでの報道はなく、また、荒井先生もアメリカ軍向け放送を事件直後に聞かれたわけでもないようです。

 他方高梨純一『空飛ぶ円盤騒ぎの発端(高文社)まえがきには、アーノルド事件の翌日、その記事が日本の新聞に載ったとあります。しかしこの記事は当法人として未確認です。

 ただ、7 月8日付「朝日新聞」東京版には、6月25日以来アメリカで空飛ぶ円盤が話題になっているとの記事が載っており、7月12日の「東京タイムズ」には、ラッセル・ロングなる人物が超小型の空飛ぶ円盤を回収したという報道もあります。
 松村氏がどのように空飛ぶ円盤について知ったのかも明らかではないのですが、斉藤氏によりますと、松村氏はスイスを拠点とする航空誌『インタラビア通信』の日本特派員をしていた(ご尊父から引き継いだようです)とのことですので、それなりに海外の情報に接する機会があったようです。ちなみに斉藤氏ご自身は、日本での報道で最初に知ったということでした。

参考:日本主要UFO研究団体略系譜
   和田登『いつもUFOのことを考えていた』文渓堂
   最相葉月『星新一−一〇〇一話をつくった人』新潮社
   高梨純一『空飛ぶ円盤騒ぎの発端』高文社
   『UFOと宇宙』1978年12月号(ユニバース出版社)

                 主任研究員羽仁礼記(2014年6月20日配信)

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