一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第5号 第二次世界大戦の脇道:独英オカルトプロパガンダ戦争@

 

 拙著『図解西洋占星術』(新紀元社)P186でも簡単に触れておりますが、第二次世界大戦中、ナチス・ドイツがノストラダムスの予言をプロパガンダに利用しようとしたことがあります。他方イギリスも、占星術師を雇ってこれに対抗しようとしました。つまり英独占星術戦争というわけです。

 戦争という非常事態とはいえ、当時の大国が国家予算を使って占星術師を雇い、ノストラダムスの威光を利用しようとしたというのですから、歴史上あまり例を見ない椿事でしょう。

 西洋占星術それ自体は、日本だけでなく、世界中で人気がありますが、他の多くの占いと同様、その解釈に科学的根拠のあるものではありません。

 本来は古代のメソポタミアに生まれたものですが、基本的な形は1世紀頃に整ったようです。その後、1000年以上の間にハウスやアスペクトなどが付け加えられ、現在多くの占い師が行っている形式が確立しました。また18世紀以降、天王星や海王星、冥王星の発見という、それまでの西洋占星術の世界観を覆す事件もありましたが、これらの3惑星も今では立派に西洋占星術に取り入れられています。

 では、英独占星術戦争における占星術師の役割とはどんなものだったのでしょう。そしてこの占い師の実力はどの程度だったのでしょう。

 立役者となった2人の占星術師は、ドイツのカール・エルンスト・クラフト(1900〜1945)と、イギリスのルイ・ド・ウォール(1903〜1961)です。

 まずはカール・エルンスト・クラフトです。

 クラフトはスイスのバーゼルで生まれました。父親はホテルやら醸造所を経営するリッチな実業家です。その長男ですから、ちゃんと稼業を継いでまっとうな人生を送るという選択もあったはずだし、父親のほうも、ちゃんとビジネスか経済を勉強して自分の手伝いをしてくれないかと望んでいたようですが、クラフトはそのような物質的栄達に関心がなかったようです。

 じつはクラフトは、若い頃からかなり神秘主義的傾向を持っていました。

 1919年に妹が死亡したときには、2年前に予知夢を見たと主張しており、以後心霊主義に傾倒しております。さらに当時テレパシーの実験や、ヨーガの実践も行っております。

 クラフトが本格的に西洋占星術の研究を始めたのは1920年、ジュネーヴ大学で学ぶようになってからのようです。この頃には何万人という人たちの出生時間を調べ、統計的な研究も行った結果、音楽家には金牛宮(牡牛座)生まれが多いなどの結論を引き出しています。しかし、後の研究では、クラフトの統計はどうもあてにならないようです。

 とはいえクラフト自身は、自らの結論にかなり自信を持っていたようで、西洋占星術の正しさを確信し、ますますのめりこむようになりました。一方で筆跡学も学び、占い関係の雑誌に執筆する一方、西洋占星術と筆跡学を用いた経営コンサルタントのようなことや、西洋占星術を用いた経済予測もやっています。実際に自分の占星術的判断に基づいて投資も行ったようですが、このときはものの見事に失敗しています。ともあれ、彼の占星術師としての評判はそれなりに高まっていったようです。

 この頃、クラフトと関わりのあった人物に、非常に興味深い人物がいます。

 当時ボン大学にいたハンス・ベンダー教授(1907〜1991)です。

 ハンス・ベンダーは、超心理の世界ではかなり知られた人で、戦後ドイツを代表する超心理学者の一人です。有名なローゼンハイム事件(注1)やベルメスの顔(注2)についても調査し、科学的な説明はできないというようなことを述べております。

 彼は、じつは西洋占星術にも生涯関心を持ち続けていました。

 クラフトと知り合った頃は、その協力を得てホロスコープを解釈する実験も行っており、クラフトのドイツ移住を世話したのもベンダー教授のようです。

 そしてこの時期クラフトは、後の占星術戦争の推進役となるもう一人の人物と知り合っています。

 それがルーマニアの外交官だったヴィオレル・ヴァージル・ティレアです。

 ティレアは1937年春、妻の病気の治療でチューリヒを訪れ、占星術師として知られていたクラフトと会っています。おそらくティレア自身、こうした事象にそれなりの関心を抱いていたものと推定されます。クラフトは占星術を用いて、ティレアの過去の出来事を見事に指摘しました。

 冒頭にも述べましたが、西洋占星術に科学的根拠はありません。他方、根拠がないはずの占いが、一見当たったように見えることは実際にあります。これが本当に的中と言えるのか、コールドリーディングの一種なのか、はたまた当たったという思い込みに過ぎないのかは、それぞれの事例で厳密に調べないと結論は出せないでしょう。ただ少なくとも、ティレア本人はクラフトの占いが見事に当たったと思ったようです。そこで1年後、またクラフトと会い、ルーマニアで影響力を持つ2名の筆跡と生年月日を託して鑑定を依頼したところ、これがまたぴたりと当たってしまいました。これでティレアは完全に、クラフトのことを恐るべき占星術師と信じこんでしまったようです。じつはこのことが、後にイギリス政府がルイ・ド・ウォールを雇いあげる伏線となりました。

注1:1967年、ドイツのローゼンハイムで起きたポルターガイスト事件。

注2:1971年、スペインのベルメスのある家庭で、台所の床に人の顔のような形が浮き上がった事件。

                     主任研究員・羽仁礼記(2011年2月1日配信)



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