超常現象情報研究センター

第52号 空飛ぶ円盤のあけぼの4

 「日本空飛ぶ円盤研究会」は、1955(昭和30)年7月1日結成となっています。これは、入会希望者を初めて受け付けた日ということです。もっとも設立当初は名称に「日本」はなく、「空飛ぶ円盤研究会」ということでした。
 『UFOこそわがロマン』によりますと、設立に先立ってUFO関係の記事をいくつも書いていた作家北村小松氏(1901〜1964)に荒井先生が設立計画の詳細を書いた手紙を送り、協力をとりつけたとのことです。
 北村氏については本メルマガ第49号及び第51号でも触れましたが、昭和初期から戯曲、脚本、小説などで活躍した作家で、戦時中は戦意高揚のための小説を少年向けも含めていくつも書いたため戦後公職追放を受けたこともあります。
 北村氏によれば1948年初頭、病気で寝込んでラジオだけ聞いていたところ進駐軍向けの放送で偶然マンテル事件を聞いたということなので、おそらくはこれがUFOに関心を持ったきっかけではないかと思われます。当法人にて確認した限りでは、北村氏は、『実話雑誌』1953年5月号に「空飛ぶ円盤」という記事を執筆したのを皮切りに、『週刊宝石』1955年2月号、『オール讀物』1955年6月号、『小学五年生』1955年8月号など、「日本空飛ぶ円盤研究会」結成前にいくつもの関連記事を雑誌に書いており、さながらUFO研究前史における開拓者の様相を示しております。『オール読物』1955年6月号ではすでに「UFO(未確認飛行物体)」という単語を用いております。もっともこれは当法人で確認した雑誌掲載記事に限ったものなのであり、他に未確認のものや新聞掲載分があるものと推定されます。
 北村氏を訪ねたとき荒井先生は、当時購入されていたUFO関連書籍十数冊(大部分は洋書と思われます)を見せていただき、徳川夢声氏、石黒敬七氏、中正夫氏、糸川英夫氏などを顧問に推薦してもらったということです。顧問には、他にも原田三夫氏及び保積善太郎氏が名を連ねております。
 また北村・荒井会談では、科学的原則は重視するが、時として非現実的科学論にとらわれない。非科学的、宗教的UFO論は極力排除すること。現時点では否定論、肯定論もできるだけ公平に扱うこと。できるだけ多くの情報を収集し、正しい情報は速やかに会員に伝えること。営利主義的な団体とならず、すべての責任は荒井が負うこと。会員相互の意見を尊重して、できるだけ分裂、対決を避けること、などの合意ができました。
 翌年2月4日には、約30名を招いて荒井先生の友人宅でもある水野食堂で北村小松氏を囲んでの座談会が開かれました。このときは映画「宇宙人東京に現わる」の中代富士男監督のお話やら、北村氏の持参した海外の関連書籍の説明なども行われたということです。
 そしてその年の7月1日、遂に機関紙である「宇宙機」の第一号発刊の運びとなりました。このことが7月9日の朝日新聞に掲載されたことで、著名人を含む多くの会員が入会することになったのです。主な著名人を挙げると星新一氏、三島由紀夫氏、黛敏郎氏、石原慎太郎氏、森田たま氏などですが、黒沼健氏、橋本健氏、南山宏氏、柴野拓美氏、斉藤守弘氏、南山宏氏も著名人に入るかもしれません。他にUFO関係者としては志村甫氏、高梨純一氏、松村雄亮氏、畑野房子氏、坂元邁(つとむ)氏などがおります。また荒正人氏、新田次郎氏、畑中武雄氏も特別会員として名を連ねております。
 こうした人物には皆さんよくご存知の方もおられるとは思いますが、とりあえず顧問の方々から順を追ってUFOとの関わりを中心に紹介することとします。
 
参考:『UFOこそわがロマン荒井欣一自分史』
   北村小松『空飛ぶ円盤のあけぼの』日本初期SF映像顕彰会

                 主任研究員羽仁礼記(2014年8月31日配信)

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