超常現象情報研究センター

第54号 空飛ぶ円盤のあけぼの6

 前号に続いて顧問の紹介です。

 糸川英夫氏は言わずと知れたロケット博士で、日本におけるロケット研究の先駆者です。ただ晩年は西洋占星術にも関心を持たれていたようです。

 徳川夢声氏は、ラジオやテレビで活躍したマルチ・タレントの元祖で、アーノルド事件以前に自ら四角形のUFOを目撃されたことがあるそうです。じつは前回紹介した原田氏は、初めてのラジオ出演で徳川氏と共演し、以来付き合いがあったそうです。

 石黒敬七氏も、どうも徳川氏つながりらしく、本業は柔道家なのですが各種随筆も残しており、NHKのラジオ番組「とんち教室」では徳川氏とともにレギュラーを務めました。

 保積善太郎氏は、アマチュア天文学者で、「天文クラブ」会長にして東亜天文学会会員、その後の『天文と気象』編集長ですが、『特集文藝春秋』195711月号の対談では「日本宇宙旅行協会常務理事」という肩書きで登場しています。この座談会はUFOとは切り離して宇宙開発や宇宙生物の可能性を論じているのですが(火星の土地の話も出てます)、このとき「空飛ぶ円盤」に言及しているのが保積氏です。その発言をそのまま再録すると「円盤というのはどうですか。(笑声)あれはいまのところ判らないんでしょう。私たちは夜の観測などでほかの方よりも何十倍か時間を割いて見ておりますが、天体という意味でなくって、怪しい光を見ることはありますね。」とあります。真面目に天文学を論じる場で「円盤」という話題を持ち出すのに躊躇なさっている様が伺えますが、保積氏自身、19527月に火星を観測中、正体不明の光体を目撃したようです。なおこの保積氏は、1977年に池袋三越でUFO写真展と同時に開催された天体教室に実技指導で参加しておられます。
 最後の中正夫氏は作家で、少年向けに航空関係の入門書や冒険小説を残しております。『ロケット』誌
19504月号には、「空飛ぶ円盤の謎来るか遊星人」と題した記事を掲載しております。

 「日本空飛ぶ円盤研究会」の本格的な活動は、昭和31(1956)24日、北村氏を招いての座談会が始まりです。このとき荒井先生の友人宅でもある五反田の水野食堂で約30名が集まり、日本初の宇宙映画「宇宙人東京に現わる」の中代監督も出席したとのことです。

 機関誌『宇宙機』の発行は昭和3171日で、第1号はガリ版刷のタブロイド判2ページ(つまり裏表1枚)でした。内容は糸川氏の「動力は光子ロケットか」、荒井先生の「空飛ぶ円盤研究会の目的」、会員の目撃情報などで、このときの会員数は610日現在で50名以上とあります。会員には小松製作所顧問の遠藤、久氏、日本心霊科学協会の金沢元基理事などの名が見られますが、高梨純一氏や斉藤守弘氏など後のUFO界に足跡を残した人たち、三島由紀夫氏はじめ錚々たる名士が続々と入会するのは、79日の朝日新聞に研究会の存在が報道されて以降のことです。

参考:荒井欣一『UFOこそわがロマン』
   『特集文藝春秋』195711月号

主任研究員羽仁礼記(2014.10.4)配信


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