超常現象情報研究センター

第55号 空飛ぶ円盤のあけぼの7

 昭和31(1956)79日付朝日新聞「素描」欄に「空飛ぶ円盤研究会」の存在が報道されると、多彩な人士から入会申し込みがありました。斉藤守弘氏や高梨純一氏、橋本健氏や畑野房子氏等々、その後もUFO界で活躍を続けた人材だけでなく、かの三島由紀夫氏や星新一氏、作曲家黛敏郎氏、石原慎太郎氏なども続々と入会してきました。

 UFO関係者については、おそらく今後個別に述べることがあると思うので、まずは入会してきた有名人とUFOとの関わりを述べたいと思うのですが、この時期の松村雄亮氏については少し述べておきたいと思います。というのは、日本航空協会編『航空年間』昭和33年版には、松村氏を代表とする「空飛ぶ円盤研究グループ」の設立が昭和28(1953)417日と記されているからです。つまりこの記述が確かならば、こちらの設立の方が「日本空飛ぶ円盤研究会」よりも前ということになるからです。

 この団体については荒井先生も『UFOこそわがロマン』で言及されており、195699日の読売新聞京浜版(P20、ただしP11では神奈川版になっている)に松村氏の団体が紹介されていたとのことです。荒井先生によりますと、新聞では会員数20名となっていたのですが、松村氏に連絡をとると、記事は誤りで200人の会員を擁しており、発足したばかりの「日本空飛ぶ円盤研究会」などとは協力できないとの高飛車な返答を得たということです。

 また、松村氏の団体が、1955年以前に活動していたことは一切確認されておらず、それ以前の『航空年間』にも、この団体の記述はありません。そこで本メルマガでは通説通り、「日本空飛ぶ円盤研究会」を日本最初のUFO研究団体として扱うこととします。

 入会してきた有名人の中でも、おそらく最大のインパクトを持つ人物は、ノーベル賞候補にもなったという作家、三島由紀夫氏でしょう。

 『サンデー毎日』1993125日号に載った荒井先生の回想によれば、「空飛ぶ円盤研究会」発足から1年ほど経った頃、荒井先生の自宅に一本の電話がかかってきました。そこで荒井先生が入会申込書を送付するから名前を求めると「三島由紀夫です」との返事が返ってきたそうです。入会申込書には「文士三島由紀夫」と書いてあったそうです。

 三島氏の入会は、黛敏郎氏とともに「宇宙機」第3号(195695日発行)に掲載されております。

 三島由紀夫本人によれば、UFOに関心を持ったのはエメ・ミシェルの『空飛ぶ円盤は実在する』(1956年刊)を読んだためと書き残しているので、「宇宙機」が出る少し前ということになります。彼のUFOに対する関心はかなり強かったようで、195768日に銀座日活ホテル上空で行われた円盤観測会にもしっかり参加しております。このとき同席した斎藤守弘氏によりますと、上下白の粋なスーツで現れ、他の人とはあまり口を利かなったようです。各種評伝によればけっこうシャイな人だったようです。UFOへの関心については、「宇宙機」第13(19577)に「現代生活の詩」という一文を特別に寄稿し、195824日付「内外タイムズ」紙の記事(この抜粋が「宇宙機」第19号に無断転載されています)では、「ボクは“空飛ぶ円盤”の実在を信じている」とはっきり述べてアメリカの状況にも触れており、当時連載を持っていた『週刊明星』1959816日号や『婦人公論』19608月号でも円盤を話題に取り上げています。特に『婦人公論』の「社会料理三島亭」の記事は、夫妻で葉巻型UFOを見たというけっこう衝撃的な内容です。

 なお、三島由紀夫の会員番号は12番ということですが、三島加入以前に50名以上の会員がいたはずですから、会員番号は後のある時点で導入されたものと思われます。ただ、なぜ三島氏が12番でそれ以前からいたはずの芝野拓美氏が45番なのかはよくわかりません。

参考:荒井欣一『UFOこそわがロマン』
   『特集文藝春秋』195711月号

主任研究員羽仁礼記(2014年10月31日配信)


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