超常現象情報研究センター

第56号 空飛ぶ円盤のあけぼの8

 前回登場した会員番号45番の柴野拓美氏といえば、作家小隅黎として、その後の日本のSF界に大きな影響を残した人物です。荒井先生によれば柴野氏は「特に北村先生のご紹介で入会されており、研究会初期の雑務を手助けしてくれたり、確固たる基盤を作るのに色々努力してくれた」とのことですが、「宇宙機」第1号には名前が載っておりません。他方『星新一一〇〇一話をつくった人』によれば、前回も紹介した朝日新聞の記事を見て荒井先生を訪ねたことになっています。

 柴野氏の活動については、空飛ぶ円盤でなく日本のSF史の方面から各所で語られていますが、一応本メルマガでも簡単に説明しときます。

 当時SFという名称は存在していましたが、それほどメジャーな分野ではありませんでした。しかし柴野氏は、「日本空飛ぶ円盤研究会」の中に同好の士を見出し、このメンバー20人ほどを、いわば引き抜く形で集めて「科学創作クラブ」という別団体を立ち上げました。このメンバーには、後にショートショートの大家となる星新一氏、そして斎藤守弘氏もいました。ちなみに会員名簿1番は矢野徹氏、2番が柴野氏、3番星氏、そして4番が斎藤氏です。同人誌「宇宙塵」創刊号が刊行されたのが1957515日。以後この同人誌から育った作家は数しれず、日本のSF界は今やUFO界を凌ぐ立派な文学として、UFO研究以上に社会的に認知されております。ちなみに現在も活躍中の南山宏氏(本名森優)は、当初「宇宙塵」の会員として参加し、その後軸足をUFOに移すという逆コースをたどっております。

 その他日本空飛ぶ円盤研究会会員で文壇関係者といえば、芥川賞を受賞したばかりの石原慎太郎氏、黒沼健氏がおり、参議院議員の森田たま氏も随筆家という肩書きをお持ちでした。客員には左派系文学者の荒正人氏や新田次郎氏、フランス文学者の平野威馬雄氏がおりました。

 黒沼健氏といえば、日本に海外の怪奇事件や不思議な事件を紹介し続けた作家で、後の中岡俊哉氏や南山宏氏を先取りする作業を行った人です。日本で最初にノストラダムスを紹介したのも黒沼氏とされています。

 フランス文学者で詩人、そして料理研究家平野レミのお父上でもある平野威馬雄氏については、「宇宙友好協会」その他の関係で後に述べることとします。

 荒正人氏は、どうも少年時代から天文学に関心を持たれていたようで、昭和32(1957)420日付東京新聞には、UFO宇宙機説を擁護する一文を寄せておられます。

 あとの石原、森田、新田の3氏は、いずれも自らUFO目撃経験がおありとのことで、これらの目撃談については次号にてまとめたいと思います。

 いずれにせよ、これまで述べてきた著名人に加え、「日本空飛ぶ円盤研究会」会員には小松製作所顧問だの、日本心霊科学協会理事、日本体育大学教授等かなり社会的地位の高い方々が大勢加わっております。もちろん、工員とか中学生とかいう肩書きもありますが、政府の息のかからない純粋な民間団体としては、かなり錚々たる顔ぶれがそろっていたと言ってよいでしょう。

参考:荒井欣一『UFOこそわがロマン』
   最相葉月『星新一一〇〇一話をつくった人』新潮社

主任研究員羽仁礼記(2014年11月20日配信)


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