一般社団法人潜在科学研究所 The Potential Science Institute

第7号 第二次世界大戦の脇道:独英オカルトプロパガンダ戦争B

 

 その頃イギリスでは、クラフト本人のあずかり知らないところで彼の名が取りざたされていました。

 ここで大きな役割を果たしたのが、当時ロンドン駐在ルーマニア公使となっていた、あのヴィオレル・ヴァージル・ティレアでした。

 当時ルーマニアでは、ファシスト勢力が台頭し、当時の国王カロル2世が1940年に退位させられました。政権が変わったことから、ティレアにも帰国命令が下ったのですが、ティレアはこれを拒否、「自由ルーマニア運動」なる亡命政権を立ち上げて、イギリスに政治亡命を図ったのです。この自由ルーマニア運動自体はほとんど実態のない組織のようですが、外交官としてイギリス政府とのコネクションを持つティレアが、クラフトのことをイギリス政府に伝えたのです。

 じつはティレアは、クラフトが宣伝省のために働くようになっても、しばらく彼と文通し、その動向を察知していたようです。そしてクラフトの能力を過大評価するティレアが出した結論は、クラフトがヒトラーの戦略に助言を与えており、ヒトラーもそれに従って行動しているというものでした。

 なにしろティレア本人がクラフトとその占星術的判断とを信じ込んでいたのですから、ずいぶん大げさなことをイギリス外務省に伝えたようです。イギリス外務省がこの情報をどう評価したかは明らかでありません。しかし結局、イギリスもクラフトに対抗できる占星術師を雇い、プロパガンダ活動を行わせることを決定しました。

 そこでティレアがイギリス政府に紹介したのがド・ウォールでした。

 ルイ・ド・ウォールは本来ドイツ人で、本名はルートヴィッヒ・フォン・ボール・ムシニといいます。ドイツでは小説や映画の脚本などを執筆していましたが、一方で占星術も学んでいました。しかしユダヤ系であったため、1935年にイギリスに亡命し、ここでは占い師やライターをして生計を立てていました。ティレアと知り合ったド・ウォールは、ティレアからクラフトのことを知らされたようです。そのときド・ウォールは、自分ならクラフトがどのような判断をするか予測できると売り込んだそうです。

 何度も言いますが、西洋占星術に科学的根拠はありません。しかし、判断基準となる惑星やハウスの意味はかなり限定されているので、同じ占星術理論に基づく限り、ある程度までなら共通した判断に達しうるでしょう。クラフトとド・ウォールが同じ占星術理論を用いているなら、確かに相手の結論を先回りして予測することはある程度まで可能です。

 こうしてド・ウォールはイギリス政府に雇われました。本人は心理学研究事務所なるものに雇われたと述べていたようですが、実際はホテルの一室が事務所としてあてがわれただけで、もちろん職員はド・ウォール一人だけでした。一応占星術に基づく報告を製作し、この報告は陸海軍情報部にも配信されたそうですが、あまりあてにできるものではなかったようです。

 一方、当時のイギリスは、何とかアメリカを第二次世界大戦に引き込もうといろいろな働きかけをしていました。そこで、ド・ウォールにもこの一端を担わせようと考えました。

 こうしてド・ウォールは、1941年6月からアメリカに渡り、各地で講演活動を行いました。もちろん、優秀な占星術師という触れ込みです。この講演活動の中でド・ウォールは、ヒトラーにはクラフトという恐るべき占い師がついていることを強調する一方、ヒトラーがアメリカへの侵攻を企んでいること、西洋占星術によればヒトラーの運勢は今後下り坂になること、さらにはクラフト本人がドイツの勝利を確信できないでいるなどと、あることないこと取り混ぜて見事にデマゴーグとしての役割を果たしたようです。

 このド・ウォールの活動にどれほど効果があったか判断するのは難しいのですが、アメリカは結局真珠湾攻撃により第二次世界大戦に参戦することになります。そこでド・ウォールの役割もほとんどなくなり、1942年2月にイギリスに戻ります。

 その後は、ドイツの占星術雑誌の偽物を作成したり、ノストラダムスの解釈にも携わったようですが、それほど活発な活動はなかったようです。

 一方、ド・ウォールがアメリカで講演活動を開始し、天才的占星術師クラフトについて吹聴していた頃、当のクラフトはというと、ナチスの秘密警察ゲシュタポに目をつけられていました。

今回の参考:Ellic Howe『Astrology & the Third Reich』the Aquarian Press

主任研究員・羽仁礼記(2011年4月1日配信)



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